012 本は重いのか? その3
小学生の頃の渾名は、「きゅうり」だった。
なんで「きゅうり」かというと、ぼくはいまでは想像もできないほど痩せていたのだ。体 育の水泳の時間に裸になると、あばら骨が浮き出るほど痩せていた。なんで「牛蒡」ではないのかというとその当時、ぼくがよく着ていた母親の手編みのセーターが強烈な緑色をしていたからなのかもしれない。
よく「きゅうり」あるいは「キュウリ夫人」と言われていた。おいおいだいたい「キュウリ夫人」ではなくて「キュリー夫人」だから。そして根本的におかしいのはぼくは「夫人」ではないから。
三浦しをんさんの文庫のなかに、「キュリー夫人の暖房術」という文章がある。
パリの屋根裏部屋で貧しい中研究に打ち込むキュリー夫人は、からだにかけた薄い毛布の上に椅子を載せて寝ていた!という伝記を読んだ彼女は、それは「きのせい」じゃ?なんで椅子を載せるの?と疑問を持っていた。
しをんさんは部屋のシングルベッドの片側半分に枕元から足下まで本を積み重ねておいてあるそうだ。本箱に本がおさまりきらないぼくとおなじタイプのひとのようだ。
恐ろしく寒いある夜、ベッドにはいった彼女の上になにかの拍子でその積み上げられた本の山がいっせいになだれ落ちてきた。痛いし重い。が……、すごくあたたかい。
《全身になだれ落ちた本が重石となり、いい塩梅に布団を体に密着させてくれるのだ。ふわふわした隙間がないから、体熱が逃げない。ものすごくぴったりフィットした、高性能の寝袋(しかしすごく重い)に包まれているかのようだ。キュリー夫人、やっぱりあなたは偉大です!》—『本屋さんで待ち合わせ』(だいわ文庫)より
その手があったか!ときどき家に帰れないで、事務所の床に寝転がることがある。明け方は寒いのだ。こんどぼくも試してみようと思う。
以前ぼくは、目がほとんど見えない著者の本をデザインしたことがある。そのひとは「光を感じる程度」で、ほぼ全盲に近いらしい。
本をデザインするとき、どんな紙を使うのかを決めるのもデザイナーの仕事だ。
しかし紙にかけることのできる予算が限られている本もある。このときもそうだった。カバーをめくった本体表紙の紙をボール紙でという指定だったのだけれど、ぼくはどうしてもそのひんやりした手触りの紙を使用したくなかった。
こう思ったのだ。本ができあがったときに、読者よりも先にまず最初に手にとるのは著者なのだ(編集者のほうが先かもしれないけれど)。そのひとがじぶんの本を手にとったときに、「あったかい」って思ってほしいと。つるつるではなくてほんのすこしでも手触りがあって、ぬくもりのある紙に。
本は重くて、あったかいのだ。
守先正
62年兵庫県生まれ。筑波大学芸術専門学群卒業、筑波大学大学院修士課程芸術研究科修了。花王株式会社(作成部)、筑波大学芸術学系助手、鈴木成一デザイン室を経て、96年モリサキデザイン設立,現在に至る。
池澤夏樹の著作では、『未来圏からの風』『この世界のぜんぶ』『異国の客』『セーヌの川辺』『ぼくたちが聖書について知りたかったこと』などを手がける。
https://www.facebook.com/morisakidesign/