「池澤夏樹の書評の書き方講座」Part4(最終回)の動画を公開しました

「impala e-books」1周年を記念して開催された「池澤夏樹レビューコンテスト」。その授賞式の一部として行われた「書評の書き方講座」の動画の最終回をお届けします。書き起こしテキストとあわせてお楽しみください。

 

*「Part1:池澤流・選ぶ技術」はこちら
http://impala.jp/news/書評の書き方講座1/
*「Part2:池澤流・書く技術」はこちら
http://impala.jp/news/書評の書き方講座2/
*「Part3:書評とエッセー」はこちら
http://impala.jp/news/書評の書き方講座3/
*「cafe impala」では皆さまからのレビューをお待ちしています
http://impala.jp/about/review/

 

Part4:作家の気持ち

 

Q:しばしば話題になる書評でのネタバレ。池澤さんはどうお考えですか

 

ミステリーで犯人を言ってしまうのは、もちろんよくないですね。作者はどの段階で、この事実が読者に伝わればいいと思っているか。つまりミステリーでなぜいけないかというと、最後のどんでん返しのショックが楽しみで読み進めるんだから、それを作者よりも先に、読者に渡してしまってはいけない。

 

ぼくは「ネタバレ」なんて言葉がなかった頃から、それは随分気をつけていました。どこまで言うか。長篇小説であれば、ストーリー展開の三分の一から半分まではいいかもしれない。もちろん本によるんだけれども。意外性のある展開を前提としている長い小説の場合は、その意外性を、ほのめかしはしても、開いてしまってはいけない。

 

例えば『朗読者』という小説がありました。ドイツのある若者が、年上の女性のために本を読まされる、読むように強いられるという話で、非常によく売れました。この本では、なぜ彼女が自分で読まないで彼に朗読させたか、というのが謎なんですね。謎なんだけど、謎であることがわからないように、あたかも本というのは朗読するものだといわんばかりに展開していく。しかしそこには非常に大きな謎が一つ隠してあって、彼女にとっては命がかかるほどの謎である。

 

それを書くか、書かないか。ぼくなら書かない。けれどもさる書評家がそれを書いてしまって、しかしその書評がきっかけでその本がたくさん売れたということになっている。ぼくなら書かなかったなあというところまで、その書評には書いてありました。

 

あくまでも考えるべきは、作者がどういう効果を考えてその話を作ったか。それは作者の知性を尊重しなければいけないですよね。だからネタバレされて怒りまくるのは、作家の気持ちの一つですね。

 

特にエンターテインメントの場合は大きなルールです。ぼくの作品で言えば『アトミック・ボックス』。あれは何段階かに分けて謎を仕掛けてあるんです。1個目ぐらいはいいけれど、2個目、3個目まで書かれてしまうと、それは……まあ……よくないですよねえ。

 

ほのめかしながら謎の深さを垣間見させる、そのあたりがエンターテインメント作品の書評の高等技術でしょうね。

 

Q:書評を書くことで、作家としての創作活動に影響はありますか

 

自分にとって書評は、非常に大事な仕事です。丸谷才一さんの場合もそうで、彼の場合はイギリスの「New Statesman」のような本格的な書評を読んで、いかにも日本の新聞書評のレベルが低いというところから始まった。

 

彼は作家であり評論家であると同時に、書評家としての自分を非常に重視していました。その点はぼくも変わりません。つまり小説を書くことと、評論を書くこと、書評を書くことは、ほぼ同じ比率で自分の中にあります。そこまで書評に力を入れている作家は、他にそう多くはいないだろうと思います。

 

そういう意味では自分にとって大事なものであるし、やはり書評を書くことで、そのために読んだ本、身につけた知識、あるいは楽しんだこと、その全体がぼくの文学活動すべてに影響しているとも言えます。書評は他人(ひと)のためならず。めぐりめぐって我が身の肥やしになっていると思います。

 

(終わり)

 

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