科学する心
「科学についての自分の考えを少し整理し、
抽象と具象の中間を行く思索を試みたいと思っていた」
──本文より
大学では物理学部に籍を置いたこともある池澤夏樹。これまでも折に触れ、自らの作品にも科学的題材を織り込んできた。いわば「科学する心」とでも呼ぶべきものを持ち続けた作家が、最先端の人工知能から、進化論、永遠と無限、そして失われつつある日常の科学などを、「文学的まなざし」を保ちつつ考察する科学エッセイ。科学者としての昭和天皇の素顔や、原子力の歴史を自らの人生と重ねて考えるなど、「科学ファン」を自認する作家の本領が発揮された一冊。
作品情報
< 目次 >
第一章 ウミウシの失敗
第二章 日時計と冪とプランク時代
第三章 無限と永遠
第四章 進化と絶滅と哀惜
第五章 原子力、あるいは事象の一回性
第六章 体験の物理、日常の科学
第七章 知力による制覇の得失『サピエンス全史』を巡って
第八章 『昆虫記』と科学の文学性
第九章 「考える」と「思う」の違い 三本のSF映画によるAI論
第十章 主観の反逆 あるいは我が作品の中の反科学
第十一章 パタゴニア紀行
第十二章 光の世界の動物たち 桑島からカンブリアへ
発売日:2019/04/05
発行:集英社インターナショナル
発売:集英社
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この作品のレビュー
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『 科学する心 』
「科学する心」池澤夏樹著
著者の博識と資料の読み込みの深さに圧倒された。興味の対象は宇宙から素粒子、複雑系と生命、科学技術と社会の関係と広大な分野に及ぶ。自己を含むこの世界を客観的に認識する科学的な見地と、これだけでは満たされない情念が文学を求めるのであろう。科学・客観と文学・主観はどのように折り合えるのか?その一つの可能性を主観と客観の交歓のような現象として、第十章主観の反逆・あるいは我が作品の中の反科学において述べている。
長年の経験より、科学するとは自然界のモデリングと理解している。ニュートンは三つの公理・運動の法則より、物体の運動の未来と過去を定量的に記述できることを示した。しかし単純に言って、自然界には驚きと感動をもたらすもので満ちている。科学は本来、五感をもって自然に向き合う姿勢ではないのかと著者は述べる(第六章・体験の物理、日常の科学)。これこそが、科学する心ではないのかと。ファラディーの「ろうそくの科学」の魅力もここにある。
科学は技術と出自を異にするが、今日両者は一体化したものとみなされている。科学は本来、自然界の秩序・法則を明らかにし、それを知の体系として把握しようという営みであった。それが、産業資本主義の台頭のもと、社会的要請として科学者が誕生した。真の知を求める者の共同体組織であった大学は、専門家養成機関へと変貌していったのである。資本主義と科学者は自由競争の原理を共有する双生児と見なせよう。かくして我々は、常に成長・進歩を求められる。相手に対して、常に優位性を確保しなければならない。今日ほど、スポーツやゲームも含め、勝負の世界がもてはやされる時代はあるまい。冷戦の終結で勝利したのは、民主主義ではなく資本主義であったのだ。競争に狂奔する本能はいつ仕込まれたのだろうか?第七章(知力による制覇の得失)では、“ヒトにとって、幸福とは何か”について述べている。人類は農業革命によって手に入る食料の総量を増やすことができた。知力で自然に手を加えればその分だけ自然は利をもたらした。一段階ずつが誘惑的で、もとに戻ろうなどとは誰も考えもしない。そうやって財の余剰を増やしていくうちにサピエンスは財の虜になっていった。食料の増加は、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながったが、平均的な農耕民のよりよい生活には結びつかなかったのである。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ(第七章・知力による制覇の得失)。資本主義に遥かに先行して、欲望が生み出す格差社会はすでに誕生していたのである。
今日の高度情報化社会は、計算処理の飛躍的高速化とメモリーの超高集積化によってもたらされた。生活の利便性という点で、我々はその恩恵を受けている。第九章において、著者はAIのもたらすデストピアを憂う。AIの目前の脅威はそれを独占的に用いる人間、すなわち権力者の横暴にあるとする。今ならば、大企業、国家、GAAFのような超国家資本。中国では、中央銀行がディジタルル通貨・人民元を発行し、キャッシュレス化を促進するらしい。これは生活の利便性を生むが、誰がいつどのように金を使ったかはすべて記憶される。ドル支配に対する対抗策であると同時に、超監視社会を作り出す決定打でもあるのだ。著者は、オーウェルが予見したように、そのようなデストピア社会が既にあり、今後さらに強まって行くのを憂う。悲しいかな同感である。
観察も採集もせずもっぱら座学ばかりと述べているが、本書には生物の図・写真が多数掲載されている。著者は、心底生き物が好きで、強い愛借の情を持っているのだと思う。機械的な客観化を抑えて外界を主観の目で見ること。おまえ自身の世界を取り戻せと呼びかける。自ら唯物論者であることを標榜してはいるが。読んでいると、随所にユーモアが挿入されていて楽しい。極めつけは、天皇と狸の糞の話だ(第六章・体験の物理、日常の科学)。城戸 義明