真昼のプリニウス
山は頼子に対して、すべての人間に対して、完全に無関心だった。
この世界は何でできているのか。
強烈な好奇心につき動かされた古代ローマのプリニウスはヴェスヴィアスの噴火の調査に向かい命を落とした。
現代の火山学者頼子は自然の現象を科学的に分析しながら、自らの内なる自然に耳を澄ます。
あるきっかけから彼女はひとり浅間山の火口に向かう。この世界を全身で感知したいという思いにかられて。
人は自然の脅威とどのように折り合いをつけるのか。言葉はこの世界を語りきることができるのか。
「池澤夏樹のいわば本質的な思考と感性が、比較的直接に姿をあらわしている重要な作品」(日野啓三による中公文庫解説より)
作品情報
文庫版所収の解説なし
発売日:2020/12/11
発行:中央公論新社
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この作品のレビュー
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『 真昼のプリニウス 』
主人公は、火山学者・頼子。彼女は、学者として常にデータを通して火山と対峙してきたことに、一抹の疑念を持ち始める。広告屋・門田との出会い、遠く離れた地にいる恋人からの手紙、天明の大噴火について手記を残したハツとの対話など印象深いプロットが重ねられるにつれ、その疑念は大きく膨れていく。ともすれば学者としてのアイデンティティを揺るがしかねないにも関わらず、頼子は逃げることなく、誠実に向き合っていく。
その頼子が自身の感情を吐露する場面で、こう語る。
「わたしという人間は、そういう人間の性質、物語の目を通してしか自然を見ようとしない臆病さ、外の世界に背を向け、物語で構築した砦の中に入って互いの肌を暖めあっているだけの人間のふがいなさを、なぜか腹立たしく思っているのです。」人間が何かを伝える時、言葉を使う。言葉を使った瞬間、その伝えたかったものは言葉の中に押しとどめられ、本来の姿から遠ざかってしまう。神話から始まり現代の科学にいたるまで、人間は自然への畏怖を言葉の中に押し込めてきた。
この小説は20年ほど前に書かれた作品にも関わらず、根底に流れるテーマは、全く色あせていない。むしろ情報科学が発達した今だからこそ、私たちの胸に突き刺さる内容になっているかもしれない。SNSには感動を覚えた景色や気持ちなど言葉や写真で溢れきっているが、それらは全て人の手によって矮小化されたものに過ぎず、現実感が薄まっていくような違和感を覚えることがある。そして、今も地震や噴火、洪水など、圧倒的な自然の力は抗うことの出来ない脅威であるという現実は、神話の時代から何一つ変わっていない。これから私たちはどのように世界と対峙していけばよいのだろう。
ともすれば重苦しくなるようなことを問いかけているのにも関わらず、あくまで語り口は優しい。物語としては劇的なことが起こるわけでもなく、美しい文章により綴られている。けれども心地よく読み進めていく内に、いつの間にか思考の淵へと連れていかれるのだ。
酒折有美子