ヤー・チャイカ
わたしを乗せたディプロドクスは、ゆっくりと歩みつづけ、やがてすっかり霧の中に消えました。
娘は草原で恐竜を飼うことを夢想し、父は遠い天空を旅する宇宙船の視線に思いを馳せる。ひょんな出会いで親しくなるイルクーツク出身のロシア人との交流を通して時に東西冷戦の核武装をめぐる硬質な議論も交えながら、あくまでも幻想的に、親と子の距離、人と人の出会いと別れを描く。無人探査機がさまざまな惑星と出会い、その重力で方向を変えながら旅を続けるように。
作品情報
文庫版所収の解説なし
文庫版『スティル・ライフ』所収の中編
発売日:2021/02/26
発行:中央公論新社
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この作品のレビュー
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『 ヤー・チャイカ 』
つい最近、私は黒川創の『かもめの日』を読んだ。それは冒頭に、1961年のソ連の宇宙飛行士ガガーリンの「地球は青かった」の発言を、次いで63年のテレシコワの「わたしはかもめ(ヤー・チャイカ)」に始まる地上との交信を書いており、チェホフの『かもめ』に関する話にもつなげている。
しかし、私が「ヤー・チャイカ」という言葉ですぐ思い出したのは、池澤夏樹の本作品だったので、手元にあった2001年の文庫で久しぶりに読んでみた。
この『ヤー・チャイカ』で私の記憶に残っていたのは、少女が恐竜の頭の上に乗って揺られながら歩いているシーンだったので、もしかするとそれが、かもめが空に浮かぶ情景とイメージ的に結びついていたのかもしれない。
けれども再読してみると、主人公は少女カンナの父親である鷹津で、鷹津と新たにその知人となるロシア人クーキンとの交流が、小説のメインストリームであった。
クーキンの語る湖上スケートの思い出話、鷹津の語るテレシコワに関する話、クーキンと鷹津とカンナでスケート場に出かけて、クーキンがやってみせるフィギュアスケート・・・
テレシコワが宇宙飛行をした時の鷹津は15歳、”地球は彼女の軌道という多彩な糸で48回かがられた手毬になった。その時の(鷹津)文彦にとって大事だったのは、上天に見える星々の間に紛れ込んで下を見ている彼女の視線、地球の各部分をそっと撫でゆく彼女の視線だった。それを、その視線を感じたことを彼は降りてきたテレシコワに伝えたいと思った。地球は軌道を周回する彼女の宇宙船というベールをかぶせられ、その淡い薄い蜘蛛の糸の織物が、暖流と寒流や、モンスーンの風や、層雲や、オーロラ・ボレアリスやヴァン・アレン帯以上に美しく、地球を飾った。その織物を文彦は夜の空に見た。上空の目に見られていると感じた。”
このような詩的とも言える美しい描写にこそ、池澤夏樹の魅力が詰まっているということを、改めて感じた次第である。仁多見優子