マシアス・ギリの失脚
朝から話をはじめよう。
すべてよき物語は朝の薄明の中から出現するものだから。
舞台は、毎朝、毎夕、無数の鳥たちが飛びまわり、鳴きさわぐ南洋の島国、ナビダード民主共和国。鳥たちは遠い先祖の霊、と島の人々は言う。
日本占領軍の使い走りだった少年が日本とのパイプを背景に大統領に上り詰め、すべてを掌中に収めたかに見えた。だが、日本からの慰霊団47人を乗せたバスが忽然と消え、事態は思わぬ方向に転がっていく。
善良な島民たちの間で飛びかう噂、おしゃべりな亡霊、妖しい高級娼館、巫女の霊力。それらを超える大きな何かが大統領を飲み込む。
豊かな物語空間を紡ぎだす傑作長編。谷崎賞受賞作品。
作品情報
文庫版所収の解説なし
発売日:2015/01/29
発行:株式会社ixtan
製作・発売:株式会社ボイジャー
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この作品のレビュー
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『 マシアス・ギリの失脚 』
「朝から話をはじめよう。すべてよき物語は朝の薄明の中から出現するものだから。」
という冒頭に、「よき物語」への期待で胸が高鳴る。
池澤夏樹の小説において、まず冒頭で心を掴まれてしまうのはいつものことなのかもしれない。
それにしても…やはりこれは普通のことではない。
そしてそれに続く南国の離島の描写によって、
頭の中が、その島を群れなして飛び回る遠い先祖の霊であるという鳥の鳴き声でいっぱいになる。
その「よき物語」は、南洋の島国ナビダード民主共和国の大統領マシアス・ギリが、タイトルどおり失脚するまでの物語。
1993年第29回谷崎潤一郎賞受賞作品。
谷崎潤一郎賞…という事で、谷崎らしさにアンテナを張りつつ読み進める。
たしかに、主人公マシアスが短躯のさえない醜男なのは、『痴人の愛』の譲治や『瘋癲老人日記』の老人のようである。
マシアスが醜女や年増や美女のそれぞれのタイプの女性に愛されるのは、谷崎が影響を受けた物語のひとつである源氏物語のようでもある。
それらよりも谷崎らしさを感じたのは、女性とその女性との愛や恋に関する描写である。
いや、谷崎よりだいぶ女性に優しいかもしれない。
マシアスの最初の愛人・醜女のツネコにも美点を見出してくれている。
ツネコの妹のちにマシアス・ギリの世話係となるイツコも同じく醜女であるらしいが、きっちりと仕事をこなすさまは好ましい。
そして最初の妻マリア・ギリとの穏やかな生活。
初めて恋を知った美しい娼婦アンジェリーナ。
「彼女自身が最も自慢にし大統領が最も愛でている身体の部分」が微に入り細に入り描写されているが全くいやらしくなく、さらに「マシアス・ギリがすがるべき超越的存在はここにこそ潜むのかもしれない。拝もうか、やめておこうか。」と、神格化されている。
これには、谷崎が白人美女の腕にできたおできをルビーが埋まっていると表現したのを目にした時以上の衝撃を受けた。
女性当人からするとあまり仔細に見られたくない部分をここまで美しく描写できるものなのか。
女性崇拝。
アンジェリーナの娼館で出会ったのちのエメリアナであるマリアに出会った時、マシアスは「そうか。すべて女はマリアだから。」と言った。
女性以外の人物も大変魅力的に描かれている。
アンジェリーナの娼館に入り浸りI.W.ハーパー12年ものを愛する白人の男性旅行者である名前か対になってる二人で一人のような恋人同士のケッチとヨール。
マシアスの良き話し相手である、二百年前にイギリスで死んだパラオの王子の亡霊リー・ボー。
先ほどのマリア、のちにマシアスの実の母の名で呼ばれるエメリアナが現れるまでは楽しく気楽に物語を追っていた。
貧しい孤児であったマシアス・ギリが大統領になるまでの冒険譚のような経緯や、マシアスの賢さ、日本とのつながり、マシアスの日本に影響された生活様式、大統領になる前のビジネスで成功した話、小さな貧しい島国であるナビダード民主共和国の政治の話、ケンペー隊、汚職、不穏な事件、日本からの慰霊団47人を乗せたバスが失踪しその軌跡を追った物語と物語の間に挟まれる愉快な【バス・リポート】(バスが、バスらしくない道を渡ったり、行動をし、しまいには星座になったり)、のちに何の例えかわかるが第3章で挿入される賢い娘とその7人の弟たちの昔話、すべてこの上なく面白かったけれど、それまでの物語はこれから起こる最も重要な物語に入るための準備だ。
もはや、谷崎らしさを探すこともすっかり忘れて物語にのめり込んだ。
ここまできたら後は夜通しになろうと目が離せない。
エメリアナはマシアスの出身地メルチョールで行われるユーカユーマイの祭の第7巫女であった。
ナビダードはメルチョール島の人々による霊的な支配によってひとつにまとめられてきた。
エメリアナを追い仕事をうっちゃって祭りに参加するマシアス。
そこで「生まれることの幸福」「生きることの幸福」を知る。
エメリアナは、マシアスと日本の悪い取引を止めさせるべく派遣された使者であった。
すべての事件は一つの意思によって起こるべくして起こった。
亡霊リー・ボーとの最後の会話で、リー・ボーはこう言った。
「一つの意思。どうかな。この世界では、個人はきみが思っているほど個人ではないよ。ここは日本ではないから。生きた者、死んだ者、たくさんの人間の考えや欲望や思いが重なりあって、時には一つの意思のようにふるまうこともある」
「すべてものごとは関連しているから、一方的にいい人やいい政策がないように、まったくの悪人も愚劣な政策もない」
私自身も、真面目に変わりなくすごしているつもりでも、ときには悪人に割り振られてしまうことがある。また、せっかく引越したのに自分以外の要件でまた元の土地に戻ったときもこの「一つの意思」を感じた。
マシアス・ギリは物語であるけれど、「一つの意思」は現実世界にもあるはずだ。
マシアスは「この世界にあって個人の意志は何も決めない。すべては大きな流れの中にあり、われわれはそこに浮いている。そういうことが明快にわかった。」という。
これも、現実世界でもそうなんだろう。
そして運命の女エメリアナによって失脚させられたマシアス。
最後の【バス・リポート】ではバスの愉しみが余すことなく描かれ、最終章では飛行機、船の愉しみが描かれ、最後まで池澤夏樹であった。
そこに谷崎は居なかった。
大好きな飛行機から飛び降りて、鳥になったマシアス。
幸福であったかどうかはわからない。けれど、終わるようにして終わっていった。
さて、夜通し読んでお腹が空いた。
朝ごはんは白いご飯にライムとタバスコでマグロの刺身を山ほど食べよう、昼はカップラーメン、お湯を入れたらゆっくりゆっくり200数えてあのプラスチックのフォークで食べよう、そして夜になったらI.W.ハーパーの12年もの…は買えないからどこかケッチとヨールが居そうなバーに出かけて一杯飲みながら、もう一度この「よき物語」を最初から読み直そう。島村晴子