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【本日の栄町市場】
小書店と同じ通りにある「与那嶺靴店」。与那嶺のお母さんは、いつも痛そうな足を庇いながらゆっくり歩く。11時過ぎくらいに「お茶できたよー」と、お母さんが急須を手に店に入ってくると、わたしはコーヒーカップを差し出してお茶を淹れてもらう。そして、少しお喋りをすると、やっと店番がはじまるぞーという気になるのだ。
お母さんはとても穏やかな人で、エプロンをしていて、髪はいつも綺麗に纏めている。おやつはクラッカーと決まっていたようで、お裾分けにいつも13枚1パックの袋をもらって恐縮した。「いいのよ、おいしいから食べてね」
与那嶺のお母さんが休みがちになって、娘さんやお父さんがよく店番をするようになった。誰かの介護で忙しいらしいと聞いていたし、たまにお店に出てくる彼女に変化は感じられなかった。
だから、お母さんが亡くなったと聞いたときは、心底驚いて現実味がなくて涙も出なかった。
与那嶺のお母さんが亡くなってから、すぐにお父さんが店を開けるようになった。もう少し休んでいいのにと言われるたびに、「こっちにいるほうがいいんだ」
四十九日が終わったころ、市場の人が話してくれた。「癌だったって。ずーっとわたしたちにも言わなかったよ。家族にも固く口止めしてた。でもね、必ず治して店に戻るって言ったんだって。それで頑張ってたってよ」
その話を聞いて、市場の人たちとはじめて泣いた。大人なのに嗚咽が出るほど泣いた。
最近、与那嶺のお父さんとお母さんの話をした。
「お母さんがおはよーって急須を持ってくる気がする。ふと、そういう気配を感じる」とわたしが話すと、「うん。いつもねー、ここに座っている気がしているよ。ここで笑っているはず」
そう言って、お父さんは空いている椅子を指差した。うん、わたしにも笑っている与那嶺のお母さんが見える気がする。
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