20151024日 天気:雨のち晴れ

 

『20マイル四方で唯一のコーヒー豆』

 ハワイイ島のグリーンサンドビーチに向かって車を走らせていると、遠くに風車が並んでいるのが見えた。数十基の白い風車が真っ青な空にそびえ立つ。近づいていくと風車は思っているよりも随分大きい。空と海と風車だけの景色に圧倒される。陽気な配色なはずなのに使われなくなった人工的な風車が物悲しく、地の果てを見ているようだった。
 
 大学時代、Aの別荘に滞在できるのをいいことにハワイイ島を何度か訪れた。ある日、Aともうひとりの友人Rと三人で朝からサンドウィッチをつくりピクニックへ出掛けた。
 目的のグリーンサンドビーチに辿り着くまでどれくらい歩いただろう。右手にはずっと海岸線が見えていた。ひたすら歩き続けると、巨大な崖が見えてきた。崖下には緑の砂浜を持つビーチがあり、崖がビーチを抱きかかえているようにも見える。下を覗くと、人々が蟻のように小さく見える。どうやってビーチに下りたのだろうと思うほど、急な斜面。
 歩き疲れた私たちは、壮大な景色の前で腰を下ろしてサンドウィッチを頬張った。Rは崖下のビーチが気になるらしく、カメラを首にぶら下げて席を立った。時おり、こちらの様子を見ては大きく手を振るが、しばらくすると、彼の姿は見えなくなった。
 
 満腹になった私とAは少し寝転ぼうと横になった。私たちの前には数千年前に噴火した火山灰からできた大きな崖がある。空と海はどこまでも広がっている。時間はゆっくりと流れ、私たちはこの島の自然に身を委ねた。
 Aがぽつりぽつりと話を始めた。ここ最近、彼女が落ち込んでいる理由。私が考えていたよりも悲しい話。
 
『20マイル四方で唯一のコーヒー豆』の主人公は17歳だ。彼は家庭内で英語しか話せなくなり、やがて不登校になる。父親の友人に連れられて訪れたカナダ。そこで起こった些細な出来事から、彼は蓋をしていた悲しい記憶を思い出す。そして、宿の女主人アリスに誰にも話せなかった告白をするのだ。
 
「みんながね、ここに来てそういう話をするの。こんな言いかたをして、私は君の事例を一般化しようとしているわけではないのよ。でもここの空気はみんなの口を軽くするみたい」
「そのためにこんなに遠くまで来たんですね」
———20マイル四方で唯一のコーヒー豆』より
 
 誰にでも胸の奥底に仕舞っておきたい記憶がある。でも、本当は誰かに話したいのかもしれない。忘れることはできないのかもしれない。
「忘れた方がいいと思うことを心はこっそり隠すんじゃないかな。今、君は、これはもう思い出しても大丈夫って判断したんじゃないかな」
 アリスが彼に言った一言を、私はAに言えただろうか。多分、言えなかった。
 Aは私ではなく、この島の大きな自然に向かって話しているような気がしたから。彼女に相槌を打つと、苦しい日常に引き戻してしまう気がしたから。
 
「おーい、海岸に下りるぞ!」とRが大きな声でこちらに叫ぶ。
 Aはお尻に付いた砂を払いながら、「行こう」と私に向かって微笑んだ。その顔がさっきよりも晴れやかに見えて、私も腰を上げようとしたが立ち上がることができなかった。
 私はもう少しこっちでダラダラするよ、と答えると彼女はもう一度微笑んで海岸へ下りていった。

 
(宮里 綾羽)

 
20マイル四方で唯一のコーヒー豆
池澤夏樹2007年 新潮社
 
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毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 栄町市場では、肉屋のカウンターにも八百屋のレジの脇にもテイクアウト用のコップに入ったアイスコーヒーが美味しそうな水滴を垂らしながら置かれている。仕事の合間に一息入れるために飲んでいるのだろうな。
 アイスコーヒーは有名チェーン店のものでもなく、コンビニのものでもない。栄町市場にある「COFFEE potohoto」のものだ。
 2畳ほどの店のカウンターに2席。カウンターの向かいにベンチと椅子が6席ほど並ぶ。その席がいっぱいになり、立ち飲みをする客もいるほどの人気店。
 カウンターにはグアテマラ産やケニア産のコーヒー豆が並ぶ。特に人気なのは台湾産のコーヒー豆。店主は台湾の農園まで買い付けに行くために台湾語までマスターしたのだから、ものすごい情熱家だ。台湾産の豆は大人気で店頭に並ぶとすぐに売り切れてしまう。
「COFFEE potohoto」には国内の観光客だけでなく、海外からの客もよく見掛ける。都会的で洗練されたコーヒー通らしき観光客が店主とコーヒーについて会話する姿をよく見掛ける。かっこいい。
 その横を市場のおじさんが「アイスコーヒーねー。テイクアウトー」と足も止めず、馴れた感じで注文していく。うん、こっちもかっこいい。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2015Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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