2016723日 天気:晴れ

 

『鮎』

 海と山に挟まれた一本道。
 瑞々しい緑の景色と心地よい風が吹き込んできて、車内が隅々まで潤う。風が体に当たると細胞が生き返っていくような気がする。
 山道を走り、橋を渡る。川が見えて、鳥が大空を飛ぶ。
 低い山々が連なり、美しい緑の濃淡が心を穏やかにさせてくれる。優雅で大きなものに包まれている安心感。
 ところが、山道を進むにつれて違和感が生まれてくる。
 濃い紺色の制服を着た男性がぽつりぽつりと現れ、道の両脇に立ってこちらを見ているのだ。山に背を向け、仁王立ちで手を後ろに組む姿。のどかな風景と不釣り合いで不気味だ。
 今度は、目の前に大きなヘリコプターが現れた。手を伸ばせば届きそうなほど近い。こちらを威嚇するようにプロペラを回したまま空中で止まっている。
 
 車を降りると、汗が一気に吹き出した。アスファルトの照り返しがすごいのだ。
 背伸びをしながらあたりを見回す。
 木々のサワサワというざわめきが、小さな声で笑い合っているように聞こえて心が和む。
 でも、そんな感覚はすぐに遮られる。ヘリコプターがまた頭上を飛んでいく。
 この村に住む人々のすぐ上をオスプレイやヘリコプターが飛び回っていることが、現実として迫ってくる。
 
 ヘリパッド建設に反対して座り込む人々はみな、穏やかで親切に見えた。
 暑さでふらつく人にはだれかが椅子を持ってきて、だれかが水を飲ませて、だれかが飴をあげて、だれかが体を支え、だれかが背中をさすり、だれかが団扇で涼しい風を送る。優しさでお互いを支え合う場所。
 
 山へ行った翌日、制服を着た男性たちがあの親切な人々に向かっていく姿を見た。行進するように綺麗な列をつくって。
 彼らは手にした棒で人々を押しのけていく。荒々しく市民の手や足を引っ張り、引きずり、押し倒した。
 制服の彼らは無表情に見える。悲しみも怒りも読み取れない。目に輝きがなくて、顔の半分をマスクで隠している。マスクの白さが異様に目立っていて気味が悪い。
 
 制服の彼らを見て、『
』に登場する小吉を思い出した。
 加賀の炭焼き小屋で才助に助けられた小吉。才助は人柄を見る才能があり、町で働きたいという小吉に、それではお前は駄目になってしまう、村で真面目に働くほうがよいと諭す。しかし、若い小吉は聞く耳を持たず、才助の口利きで町の旅館に働き口を得る。
 三十年後、才助は大出世した小吉に再び会う。
 
 才助から見れば、小吉の顔は無表情で、まるで才助の口から出る言葉が自分の脇を流れすぎるのを待っているかのように見えたのかもしれない。そういう表情をいつの間にか小吉はちゃんと身につけていた。この種の願いごとは毎日飽きるほど聞かされている。つくづくうんざりする。―――『
』より
 
 変わり果てた小吉に、才吉は言う。
「鮎を焼いて食べることにしよう、ご一緒にいかがかな、小吉どの」
 それを聞いた小吉は、三十年前の自分に戻ることができる。
 
 人間の顔をどこかに置き忘れてきた小吉は、制服の男たちと重なる。
 彼らは流れていくのを待っているのだ。小吉が才助の話を聞かず、流れていくのを待っているように。
 目の前にいるのが善良な市民であろうが、平和を望む人々であろうが、考えるのをやめて、命令に従って規則的に排除して、やがて、彼らがいなくなるのを待っているのだ。
 虚しいと思う。正義に憧れ市民を守るはずだった彼らは、今、この国で誰よりも愚かで卑怯者だと思われている。
 
 熱いアスファルトから逃れ、一歩山に入るとそこは別世界だった。
 ひんやりと涼しく、木漏れ日がキラキラと地面を輝かせる。
 美しいものはすぐそこにあるのに。
「ここはとても涼しいですよ。あなたたちはまだ戻れる」
 制服を着た彼らに叫びたくなった。小吉のように、人間の顔にまだ戻れるよ。
 彼らが山に背を向けて立つのは、思考停止した頭が働くのが怖いからだ。気を緩めると、きっと泣いてしまうからだ。
 権力に取り込まれて善良な市民に暴力を振るう自分に、大きくて野蛮な者たちの手先になっている自分に。
 彼らにも鮎を食べさせたい、心からそう思った。


(宮里 綾羽)
 

池澤夏樹著 1995年 文藝春秋
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毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 市場に座っていて、何が楽しいって食べるのが楽しい。です。
 市場をあっちゃーあっちゃー(散歩)していると、みんな真面目に店番をしながら、何かしら食べているし、飲んでいる。
 近所にある障がい者支援事業所のみなさんが、つくったパンを販売するために市場の中を歩く。メロンパンが美味しくて、つい手が伸びる。
 はいさい食品へ行けば、葛餅やぜんざいがある。
 他にも、お客さんの差し入れもあれば、市場の人同士のお裾分けもある。
 最近、せん切り屋の比屋根さんからいただいたスイカはとーっても美味しかった。
 毎日、「暑いね~」が挨拶になるほど、市場はとても暑い。
 そんな時にいただいたスイカは体をすーっと冷やしてくれて、水分が体中に染みていくようだ。いくらお茶や水を飲んでもすぐに喉が渇くが、スイカを食べた後はしばらく喉が渇かない。
 翌日、比屋根さんに改めてお礼を言う。
「昨日はスイカ美味しかった。ありがとうございました」
「美味しかったよねー。あのスイカ、わたしも備瀬商店の備瀬さんからもらったんだー」
 市場では美味しい物はひとりで食べない。誰かに分けて、それをまた誰かに分けて。 
 とても楽しい慣習だ。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2016©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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