2016924日 天気:晴れときどき曇り

 

『骨は珊瑚、眼は真珠』

 瓦屋頂登て 真南向かて見りば 島浦ど見ゆる 里や見らん
(からやちぢのぼて まふぇんむかてみりば しまぬらどみゆる さとやみらん)―――「瓦屋節(からやぶし)」より
 瓦屋頂と呼ばれる小高い丘に登って 夫が暮らす南の方角を見れば 入江や湾は見えるが いとしい人は見ることができない
 
「瓦屋節」を最初に教えてくれたのは母だった。
 母は幼いころ、「瓦屋節由来記」という沖縄芝居を観たという。
 かつて琉球王国に窯業技術指導のために来た中国人の陶工。その陶工が見初めた女性は既婚者であった。陶工を沖縄に永住させるため、夫と子供から無理矢理引き離された女性。彼女は時折、瓦屋頂に登り故郷の夫や子供を想った。
 母は、子供と別れなければならなかった女性のことを思うと涙が出てくると言った。
 見えないとわかっていても、丘に登って夫や子供の姿を探さずにはいられない女性の姿が目に浮かぶ。体をひき千切られるような苦しみだっただろう、と。
 
 島唄研究家のKさんと「瓦屋節」の話をしたときのこと。
「ぼくは、この女性が不幸だとは思わない」とKさんはきっぱりと言った。
 二度にわたる豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、島津家は全羅北道南原において多数の朝鮮人を連行し鹿児島へ連れ帰った。「瓦屋節」の陶工もその一人ではないか、とKさんは言う。
「もしも、陶工がその中の一人であったなら、彼の人生の壮絶さは彼女の人生とは比べものにはならないはずだ。親族は無惨に殺され、もしかしたら親兄弟も殺されたかもしれない。生き残ったといっても、奴隷のようにして鹿児島へ連れて行かれたのではないか?島津が朝鮮人を連行したのは、兵糧船の船底に物を積んでいないと浮いてしまったからだという話を読んだことがある。積み荷の代わりに船の底に朝鮮人を並べた。そういう経験を十歳そこらで彼はしていたのではないか?彼が沖縄で妻にした女性は、もちろん最初は苦しみ、悲しんだだろう。しかし、朝鮮人陶工と人生を共にするうち、彼の人生を知り、やがては彼を尊敬したのではないかと思う」
 そんな捉え方もあるのか、と言葉を失った。
 母が言う女性の子供を想う気持ちと、Kさんが言う人間の生きる強さ。
 どちらの話も、わたしの心に強く響いた。
 
 おまえにはまだ別の人生を築きなおす覇気と意欲がある間にわたしがいなくなることを、わたしはとてもよいことだと思った。それもまたわたしが自分の死を従容と受け入れたことの一つの理由だったかもしれない。こういう言葉はあまりに立派だろうか。しかしわたしは見栄でこんなことを言っているのではない。わたしにとって、このような考えは本当に自然に浮かんできたのだ。そう、人は別れるものだ。時は満ちるものだ。―――『骨は珊瑚、眼は真珠』より
 
 亡くなった夫が妻を見守り、語りかけながら『骨は珊瑚、眼は真珠』という物語は進んでいく。夫を失くした悲しみを乗り越えた妻は、やがては「別れ」を受け入れる。そして、少しずつ新しい自分の生き方を再構築する彼女を見守る夫。
 人は誰しも別れを経験する。最初は絶望でのたうち回るかもしれない。でも、やがては新しい人生を歩み始める。
 苦境の中で再び人生を歩み出す陶工やその妻や、『骨は珊瑚、眼は真珠』の妻が好きだ。彼らは過去を決して忘れないだろうし、愛した人々を記憶から消すわけじゃない。
 ただ、愛する人や大切な思い出が増えていく。そして、彼らはより力強く生きていくのだ。
 
 自分でも調べてみようと、「瓦屋節」の資料を読んでみた。それによれば、この悲恋歌をもとにした話には学術的な信憑性や妥当性は得られていないとあった。
 朝鮮人陶工の来琉は1616年か1617年と伝えられていて、本歌は1795年に編纂されたと思われる『琉歌百控乾柔節流(りゅうかひゃっこうけんじゅうせつりゅう)』に記載されているという。
 これらがどのように中国人陶工・渡嘉敷三良(とかしきさんらー)、あるいは朝鮮人陶工・張献功と結びついたのかはわからないが、「瓦屋節」、そして、幼い母も観劇したという沖縄芝居「瓦屋節由来記」によって広まったようだ。
 この話が実話でもそうでなくても、私にはどちらでもいい。
 人生を誠実に生きる物語に感銘を受け、それぞれに解釈をしてわたしに伝えてくれた母やKさんとの時間そのものが、かけがえのないものだったから。
 人は時間を留めることができない。別れを避けることもできない。だからこそ、今を共に生きる。その喜びを噛み締めたい。
 きっと、力強く生きていく糧になるから。

 
(宮里 綾羽)
 
骨は珊瑚、眼は真珠
池澤夏樹著 1995年 文藝春秋
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 平均すると、週に一度は「一番餃子」の餃子をテイクアウトしている。
 冷めても美味しく、モチモチの皮が癖になる。この店の餃子は何個食べても飽きることがないし、胃がもたれない。
 わたし、この店の常連だよなぁと自惚れるのは、いつもシーブン(おまけ)があるからだ。北京出身の主人が優しい笑顔で「二個多く入れておいたよ」と言ってくれるのだ。
 そんなある日、「今日はおまけないけど、五十円返すよ」と言われた。
 栄町市場に座ってからはじめての経験で、衝撃を受けた。現金がシーブンなんて、、、
 シーブンは品物をプラスすることだという以外、考えたこともなかった。シーブンは嬉しいものだけど、現金をシーブンされるなんて。
 「それはさすがに受け取れないよ!」「いや、五十円は返すよ!」という押し問答を繰り返したが、結局は受け取ってしまった。
 それからも、現金をシーブンされる日がたまにあり、やっぱり、押し問答を繰り返した。
先週、「もう、現金のシーブンは受け取れない!」と、わたしが言うと、主人がえっ?と驚いたような顔をした。
「今日は水曜日だから。水曜日は五十円安い割引デーだよ~」と、消えかけた文字の看板を指差した。
 わたしは現金をシーブンされたわけではなくて、毎回、五十円多く支払っていただけだったのだ。毎回、押し問答してごめんね。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2016©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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