2016123日 天気:雨

 

『連夜』

 私が小学生のとき、首里城はまだ復元されていなかった。城壁の向こうはいつも工事の白いテントで味気なく覆われていた。
 守礼門の近くに観光客はいたけれど、今みたいに絶え間ないという感じではなく、人通りはまばらだった。守礼門から続く道の一方は高い城壁がそびえ立ち、その反対側には木が鬱蒼と茂っていた。朝も昼も薄暗く人気がない。大人たちからは子供だけで通ってはいけないと言われていた。
 その先の弁財天堂[1]に続く石造りの階段の横にはガマ(壕)があり、写生大会のときに、ふざけて入った男子たちが青ざめた顔をして教室に戻って来たりもした。
 ある日、小学校3年生の私は興味本位からその道を行こうとした。守礼門を抜けたところで、「おい!」と急に声を掛けられたものだから驚いたが、振り向くとSが立っていた。席が隣だったSは他の男子と違い、悪ふざけをしない妙に落ち着いた男の子だった。
 帰り道が同じだとわかってからは、時々Sと寄り道しながら帰った。寄り道は決まって、立ち寄ってはいけないと言われていた弁財天堂や龍潭池[2]の周辺だった。
 浮浪者のおじさんがベンチに座っているその横で、池の縁にくっつく小さなエビを捕まえたり、ピラニアを探す(当時、龍潭池にはピラニアがいると噂になっていた)。
 弁財天堂の向かい側にある円覚寺では中年の女性たちが熱心に手を合わせている。同じような光景を家の近くの御嶽(うたき)でよく見かけていたから、女性たちがユタだというのはすぐにわかった。
 Sは歴史にやたら詳しくて第一尚氏や第二尚氏の話をするのだが、私の頭にはなかなか入ってこなかった。子供なのに「裏切り」とか「身分」という言葉がスラスラと出てくる彼を不思議な気持ちで見ていた。柔らかい口調が年寄りと話しているようで、妙な安心感がある。
 おばあさんとふたり暮らしで、お父さんの顔は見たことがないけど、お母さんはたまに帰ってくると言った。大人びた言葉を遣うのも歴史に詳しいのもきっとおばあさんとふたり暮らしだったからなのだろう。
 クラスが変わり、彼とは言葉を交わさなくなった。中学校も違ったし、Sのことも寄り道のことも少しも思い出さなくなっていた。『連夜』を読むまでは。
 
もう一つは首里。私が住んでいる場所。私たちが毎晩あんなことをした場所。―――『連夜』より
 大きな病院で働く中年の女医とバイトの青年。院内ですれ違うだけだったふたりがある日を境に結びつく。時空を超えて恋人たちが再び愛し合う悲しくも幸福な物語。その舞台が首里だ。
 
連夜』のような甘美な思い出はないけれど、Sと夢中で遊んでいたころ、私たちはいつも不思議な境界線を走り回っていた気がする。性別とか時空とか歴史とか生死の境。  
 別に私たちが特別なのではなく、首里がそういう場所だったのだろうと思う。
 琉球の風景、ユタ、龍潭池の畔、ガマがいつも私たちの隣に横たわっていた。
 あの頃、私たちにまとわりついていた風はきっと時空を超えて吹いてきた風だったのだ。
 
 去年、偶然Sと会った。小学校を卒業してから一度も会ったことがなかったというのに、騒がしい音楽と人がごった返す店でお互いを見つけた。落ち着いた小学生だったころと違い大きな声でよく笑う彼は年齢よりも随分と若く見えた。
「おばあちゃんも元気?」と聞くと、「おばあな、もう90近い。去年目の手術したわけ。そしたら、視力がものすごく良くなって毎朝新聞こんなやって読んでるぜ」
彼は両腕をぴーんとまっすぐ突きだして背筋を伸ばす。
「おばあは120歳まで生きるな」 
 
 博物館があった通りから首里城を眺める。夜の龍潭池を濃い木々が覆い、その上にライトアップされた首里城が美しく聳えている。宵闇の中で首里城の鮮やかな赤を見ていると、いにしえの風が私の頬を撫でた。自分がどの時間を生きているのかわからなくなった。


 
(宮里 綾羽)


[1]弁財天堂は航海安全を司る水の神を祀った建物だそうだ。薩摩侵入や沖縄戦で破壊されたが、復元されている。弁財天堂が浮かぶ円鑑池は1502年に造られた人工池で、首里城や円覚寺からの湧き水、雨水が集まる仕組みとなっていて、ここから溢れた水は龍潭へ流れる。
[2]龍潭は琉球へ来た冊封使が第一尚氏の尚巴志王に首里城北に作庭するように勧めたとされる人工池。


 
連夜
池澤夏樹2007年 新潮社
 
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 栄町市場の中心はどこだろう?
 栄町市場祭りのある東口の通りかもしれないし、いつも多くの客で賑わう新鮮な野菜や果物が売りの「はいさい食品」の前だという人もいるかもしれない。あるいは、昼と夜でも中心は変わるかもしれないし。
 私の中でも栄町市場の中心は一箇所には絞れない。その中のひとつが備瀬商店だ。調味料や菓子、缶詰、飲み物が並んでいる。
 昼を過ぎるとどこからともなくおじさんたちが備瀬商店の前に集まりだし、酒を飲みながら談笑したりギターを奏でたり楽しそうだ。栄町市場で育った備瀬さんは市場のことを知り尽くしているから、わからないことがあったらすぐに聞きにいく。
 すき焼きのタレも備瀬商店でしか買わない。明治時代から続く醤油屋が造る備瀬さんオススメのすき焼きのタレは一度使うと病みつきで、スーパーでは見かけたことがない。
 備瀬商店に選ぶ商品にはグルメな彼のこだわりが見てとれてワクワクする。
 そんなグルメな備瀬さんは毎日自分の昼食を店でつくっているようだ。煮込み料理が中心だけど、焼きそばもたまにつくるみたい。お店の商品をピックアップして出来上がった料理は本当に美味しそうで、これ売ればいいのにと呟いてしまう。私、絶対買うのによー、、、
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2015©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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