2017527日 天気:曇り

 

『虹の彼方に - 池澤夏樹の同時代コラム』

 美味しい餃子をたくさんもらったから幼馴染たちを食事に誘った。餃子は大勢で食べたほうが美味しいし、みんな家が近いというのも誘いやすい。
「今日、ののちゃん当番なんだ。ののちゃんも連れて行っていい?」
 幼馴染の琴美から来たメッセージに彼女の妹の子供、つまり、姪っ子も一緒でいいか?という確認があった。もちろん。
 ののちゃんは家にも数回来たことがある可愛くて活発な女の子。前回会ったときは二歳になる前でたくさん話してくれるのだけれど、なんて言っているのかよくわからなかった。どれくらい成長したか会うのが楽しみだ。
「こんばんは!」と言葉をはっきり発するののちゃん。その一言一言にみんなが夢中になって、たくさん話し掛ける。餃子や炒飯を一生懸命食べる姿も愛くるしい。
 先に食事を終えて遊びはじめる子供たちの姿を横目で見ながら、大人たちは食事を続けた。
「ののちゃん当番ってなに?」
 気になっていたことを琴美に質問する。
 琴美は三姉妹の長女。ののちゃんのお母さんが次女でその下にもう一人の妹。琴美もののちゃんの両親も看護師をしていて、就業時間が不規則なのだ。早朝に帰って寝る日もあれば、深夜に働く日もある。
 まだ二歳のののちゃんには、大人の手がもちろん必要だ。そこで、琴美のお母さんや琴美、三女がののちゃんの面倒を当番制で見ているのだそうた。
 琴美とののちゃんを見ていると、信頼関係が築かれているのがわかる。母親の厳しさとは違う優しい諭し方。ののちゃんを中心に家族の結束が深まっているみたいだ。みんなで彼女を育てている。
 琴美やその家族は現代では珍しくなったオオカミの集団。
 
 ヒトはもともと社会を形成する動物である。オオカミのように集団を形成して暮らし、リーダーシップ、協力、服従、援助、分配、排除などの原理に従って集団を維持してきた(この集団は能動的な緻密な組織であって、シマウマの群のような烏合の衆とは違う)。子供はオオカミ的な場で多くの仲間と共に、たくさんの大人に見られて育った。―――『虹の彼方に』より
 
虹の彼方に』は著者が描いた二十一世紀はじめの世界。どの章も世界は混沌としていて将来への展望は悲観的だ。『虹の彼方に』から十年以上経過した現在、残念ながら世界は更に混迷を極めている。絶望的かもしれない。
 アメリカ同時多発テロ、イラク戦争、東日本大震災、原発問題。貧困は子供たちまで蝕ばんで、出口が見えなくなっている。政治は増々横暴になって市民の声は掻き消される。沖縄からは基地が無くならないどころか、新基地を巡って県民は分断されている。認めたくないけれど、これがわたしたちを取り巻く世界。
 子供たちがこれからの時代を生き抜いていくために、わたしたちには何ができるだろう。ののちゃんのように多くの大人に育てられることで、他人との関わり方の選択肢が増え、多様で寛容な人間に育てることも生き抜く力になるかもしれない。沖縄にはオオカミの集団がまだ残っているから。わたしもその一人だろうし。
 
 今の育児には他者がいない。言ってみればクマ型である。クマは集団を作ることなく、父親さえも不在、せいぜい一、二頭までの仔を母親が独りで育てる。テリトリーの中で出会う他者は敵でしかない。
 ヒトは数百万年前に類人猿の祖先と分かれる以前からずっと集団で生きてきた。その生きかたを捨てるのだとしたら、この大変化を乗り越えるのは容易ではないだろう。―――『虹の彼方に
 
 一方、東京で子供を育てる友人の多くが、一見、クマ型に見える。フルタイムで仕事をして子育てをする彼女たち。親は離れて暮らしているし、旦那さんは残業で不在がち。
 でも、彼女たちは友人同士で助け合い、心からお互いを支え合っている。クマ型に見える子育てだけど、実は形を変えたオオカミの集団なのかもしれない。血の繋がりがなくても自分の子供のように、友人の子供の成長を見守っている。
 子供たちを健やかに逞しく成長させるため、今いる環境に適応しながら頑張る母親たちの姿もきっと子供たちを強くする。
 やっぱり、人は絶望しては生きていけない。希望を諦めないことも生き抜く力になっていくと信じたい。沖縄でも東京でも、どこで子育てをしていても友人たちはどんどん強くなっていく。それこそがわたしの希望だ。

 
(宮里 綾羽)
 
虹の彼方に - 池澤夏樹の同時代コラム
池澤夏樹著 2007年 講談社
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 栄町市場の昼下がりはゆったりしている。
 そんなことを書くと、栄町市場はいつもゆったりしているじゃないかと笑われそうですけど、それは食べ物を扱う店がない通りだけみたいなのだ。
 肉屋や魚屋、八百屋、乾物屋のある通りは時間帯によって人の流れが違ってくる。食べ物を扱う店がない小書店の通りと違って、メリハリがあるようだ。
 東口から入った栄町市場のメインストリートには総菜の店「かのう家」がある。昼食時には混雑していて話し掛けるのもままならない「かのう家」のおじさんが、通りに出ているベンチに腰掛けて、「安座間精肉店」のおじさんと煙草をくゆらせながらユンタク(お喋り)している。夕方に近づくと肉屋は混んでくるから、「安座間精肉店」のおじさんにとっては今が一番ゆっくりできる時間なのかもしれない。
 夕方を過ぎると、飲食店が次々と開店してメインストリートにも多くの人が行き交う。祭にもなると、通り抜けるのも困難なほど人でごった返す。そうすると、通りの顔はなくなってただただ混乱の中にいる感じ。それはそれでとても面白いけれど。
 でも、平日の昼下がりにふんわりと市場の人を包み込むこの通りの風景が、やっぱり好きだなぁ。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2017©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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