20161210日 天気:晴れ

 

『終わりと始まり』

 友人たちと交互にカップラーメンを啜りながら、遠くの中学校を見ていた。
 制服のスカートにしわが寄るのが嫌で、気を遣って変な座り方になるから足がすぐに痺れる。座り方を変えながら、時間が早く過ぎてほしいと願う。毎日、うんざりするほどゆっくりと時間が流れていたから。
 今日も四角い公民館の屋上にこっそりと上ったわたしたちは、まだ授業が続いているはずの中学校をぼんやりと眺める。
 青い空に歴史ある石畳が続く。美しい風景の先にある中学校。
 
 中学生のころを思い出すのが苦手だ。
 部活に打ち込んでいた小学校のときと違い、中学生活は嵐の中に放り込まれたような日々だった。
 最初に驚いたのは先輩への異常な礼儀作法。
 先輩が向こうから歩いてくると、彼女たちが見ていようが見ていまいが、頭をずっと上下に振って「こんにちは、こんにちは」と続ける。
 部活をしている間、水分を摂ってはいけない。真夏でも。
 女子生徒の間では姉妹関係みたいな契りが交わされる。先輩が気に入った後輩を妹と決めれば、もちろん、断ることは許されない。毎日、先輩からの手紙に返事を書き、誕生日にはプレゼントを贈る。
 部活が終わるとミーティングと称し、小窓も閉め切った部室で正座のまま、先輩たちの説教が始まる。そこで、わたしははじめて酸欠で倒れた人を介抱した。
 自由気ままな小学校生活を過ごしてきたわたしにとって、中学校は理解できないことばかりだった。
 中でも一番理解できなかったのは、教師の存在だった。
 先輩に頭を下げ続けている校内でも、水分を摂れずにふらふらと走る体育館でも先生たちはいたはずだ。けれど、一度も助けてくれなかった。
 
 中学二年生のとき、決定的なことがあった。
 昼休みにたまたま酷い出来事に遭遇して、止めようとしたら数人に肩を小突かれた。ひとりでは止められないと思い、急いで職員室へ向かった。
 助けたかったのは、仲の良い友達だった。
 先生たちは誰も椅子から立ち上がらなかった。わたしが見えていないみたいに誰も目を合わせない。ひとりで必死に助けを求めるわたしは、水槽の中の金魚みたいだった。誰にも声が届いていないのに口をずっとパクパクと動かしている金魚。
 髪を少し染めてもピアスの小さな穴も見逃さない先生たちが、ひとりも椅子から腰を上げなかった。
 ここではダメだと思ったわたしは階段を下り、渡り廊下を走って公衆電話へ急いだ。
 パニックになっていたわたしが電話したのは、普段あまり話さなくなっていた母の職場だった。母は「わかった。あとはなんとかするから」と言ってくれた。
 その日の授業はそわそわと落ち着かずに心臓が飛び出しそうだった。起こったことと、これからのことを考えると何度も吐きそうになる。
 チクリ、は一番タブーな行為だった。告げ口をするのは卑怯者のやること。誰もが知っている暗黙のルール。
 
 夜、母から友達へ電話するように言われた。
「これからしばらくは、うちに泊まりなさいって。今から迎えに行く」
 渋る彼女を無理矢理家まで連れて帰った。
 
 後からわかったのは、父が校長室まで出向いてくれたこと。
 彼女が安全に通学できるまで出席日数を削らない、という約束を取り付けてくれたこと。問題が解決するまでは、わたしの両親が責任を持って彼女の面倒を見るということだった。
 
 苦い思い出だから、ずっと蓋をしていた。
 しかし、『終わりと始まり』の「死んだ子供たちのために」を読むと、とめどなく記憶が溢れてきた。驚くほど細かく覚えていた。小突かれた肩が疼いて、惨めさに体が支配されそうになる。
 何よりも鮮明に覚えているのは、父が学校に赴くまで席から立ち上がることもしなかった大人たちの顔だ。
 
 スーパーマーケットで誰かが殴られているのを見れば、店員ならずともすぐ警察に電話する。しかし学校ではすべては内部に封じ込められる。事件が起こると教師と保護者が一体となって外部から学校を遮断する。時には悪いのは死んだ子だとさえ言われる。―――『終わりと始まり』より
 
 震災、戦争、教育の中に潜むもの。
 著者はいつものように柔らかな口調でさまざまなタブーを炙り出す。
 真実を知りたいと思うこと、意見を持つこと、考えることを止めたくない人たちに、あなたたちはまともだと言ってくれる。そして、つくづく思う。「あらゆることをタブーにして、この国は成り立っている」と。 
 その最初の洗礼が、学校というシステム。
 もちろん、著者のようなまともな大人もいる。わたしたちを助けてくれた両親も。
 歳の離れた妹は同じ中学を卒業したが、とてもいい学校だったと言う。校長先生も教頭先生も素晴らしかったのだそうだ。
 大人がまともであれば、子どもだってまともに暮らせる。
 
 問題が解決してから、わたしは部活を辞めた。学校を頻繁にさぼるようになった。
 わたしは、中学校に馴染めない自分がまともではないとずっと思っていた。
 学校をさぼってしまう自分を不真面目でだらしない人間だと責めてきた。
 でも、わたしは多分、ずっとまともだったのだ。
 中学生の苦しかった自分に、今だったら言えるのに。
 
 大人になった彼女があるとき言った。
「あの夜、死のうと思っていたんだ。電話がなかったら死んでいたかもしれない」
 彼女は地元の進学校から希望する大学へ進んだ。仕事は忙しそうだけど、仲間や恋人がいて、好きな音楽や本に囲まれて暮らしている。努力家でユーモアに溢れる彼女をみんなが愛している。
 そういう穏やかな日々があなたを待っているよと、中学生の彼女に言っても絶対信じないだろうな。でも、本当に待っているんだよー!と、あの公民館の屋上から大声で叫んでやりたい。

 
(宮里 綾羽)

 
終わりと始まり
池澤夏樹著 2013年 朝日新聞出版
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 市場でお世話になった方はたくさんいる。その中でも、同じ通りの方々は馴れない市場生活であたふたするわたしを毎日気にかけてくれた。
 そんなひとり、池原さんが今年で店を閉めるのだそうだ。わたしが店番をはじめた頃によく本を買ってくれて、市場に馴れるまでとても助けられた。気持ち的にも売上げ的にも。
 お母様の時代から営んできたという化粧品屋は、いつ覗いてもお客さんが座っている。商品の良さももちろんだが、一番は池原さんの人柄によるものだ。
 いつも笑顔の絶えない彼女は、難しい人、癖のある人とも上手に付き合う。ゆっくりと優しい話し方も、ニコニコ笑いながら深く頷く様子も相手を包み込んでいるような。見掛けるたびにこちらまで優しい人間になれるような。市場のある人は言う。「ねーさんは、神様みたいな人だよ」と。
 お客さんの長い話をうんうんと優しく頷いて聞く姿や、ちょっと怒っている人の話をうんうんと聞いている姿。そうだ、ずっと聞いている姿ばかり見てきた気がする。いつもいつも誰かの話を優しく聞き続けていた。簡単に真似できることじゃない。
 池原化粧品店が閉まると聞いて、ますますお客さんは増えている。みんな、彼女との時間が終わることが寂しいのだ。
 わたしにもいつか、こういうお客さんができるだろうか?
 まず、休まないで毎日座らないと!と市場のみんなに言われそう、、、
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
Share
Tweet
+1
Forward
宮里小書店Twitter

配信の解除、アドレス変更

cafe@impala.co.jp

※アドレス変更の場合は現在のアドレスを一度解除して頂いた後、
新しいアドレスでの再登録をお願い致します。

ご意見・お問い合わせ
cafe@impala.co.jp

当メールマガジン全体の内容の変更がない限り、転送は自由です。

転載については許可が必要です。

発行:株式会社 i x t a n
   〒150-0001東京都渋谷区神宮前4-18-6岩動ビル3F

2016©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






This email was sent to *|EMAIL|*
why did I get this?    unsubscribe from this list    update subscription preferences
*|LIST:ADDRESSLINE|*

*|REWARDS|*