2016514日 天気:晴れ時々雨

 

『神々の食』

 以前は小道であったであろう細い線のような隙間を、纏わり付く草と蚊を振り払いながら足を大きく振り上げて前へ進む。
 少し歩くと砂浜と海が見えてきた。波のない静かな海。
 砂浜に掘建て小屋がぽつんとある。いや、小屋とは言えないかもしれない。壁がないのだから東屋と呼ぶべきか。頼りない柱と椰子の葉でつくった屋根だけのもの。強い台風が来たら一瞬で吹き飛ばされてしまうような柔な造りだ。
 その東屋らしきものが二棟並ぶ。一棟は調理するための場所らしい。もう一棟は客用のスペースなのか、砂浜にゴザが敷かれ、簡単なテーブルが置かれている。
 店員はみな、少女の面影を残す若い女性たち。観光客が来たことに戸惑っているように見える。
 それにしても、日本以外のアジアの食堂にはどうして店員がいっぱいいるのだろう。接客しているのは一、二名で、その他の店員はペチャクチャとおしゃべりをしている。アジアの堂々たる余裕、という感じがして好きだ。
 
 座るとすぐに食事が出てきた。どうやらメニューはひとつしかないらしい。魚のつみれスープとごはん。魚はこの村の漁師が捕ったもの。海鮮の出汁がよく出ていて美味しい。
 食事に夢中で気づかなかったのだが、友人のミモの手が止まっている。
 彼女のスープに目をやると、虫が入っているではないか。
 ハエとか団子虫とか、そういうかわいいやつじゃない。あの、畏怖の権化のような虫だ。
 え?とミモの顔を見た瞬間、彼女は素早い手つきで虫を掴み、ぽーんと外に投げた。そして、何もなかったかのようにスープを飲み干した。
 
 世の中全体が計算ずくになったせいか、影や、深みや、綾などが失われて久しい。言葉はみな文字どおりの意味しかなく、生活全体がひどく平たく薄っぺらになったようだ。わびしいことである。
 いちばんいい例が食べること。今、食べるというのは食物を口に運んで、さっさと満腹することでしかない。味の方は世間がうまいというものがうまいもの、誰もが大勢に従う。要するに他人まかせでお手軽なのだ。以前は人は食べることに対してもっと真剣だった。食べるものがなければ人は生きていけない。一口ごとが生命の保証。空腹の時に目の前に食べるものがあるのはありがたいことであるはずなのだが。
 それに、昔は年に何度か、身体ではなく心の糧としてものを食べる機会があった。人間にとって食べ物は分かつものである。一人であるだけ食べるのではなく、共に食卓を囲む人々と分けあう。そうすることで絆が生まれる。人は独りではないことを確認する。―――『神々の食』より
 
 沖縄の食材をテーマにした『神々の食』。食材をつくる行程や収穫する話、それを知ることはもちろん楽しいが、食がつくり出される背景、特につくり出す人々を描いていることが、食材への魅力を増幅させる。
 食べることが流れ作業になっているようなわたしは、ページをめくるたびにハッとさせられた。食事をつくること、口に運ぶことにもっと感謝したいと素直に思った。毎日の毎食が特別なものだと気づかせてくれる。誰かに感謝する食事はきっと何気なく食べる食事より美味しくて体にもよいに違いない。
 
 スープを飲み干したミモは東京生まれの東京育ち。
 小学校から大学まで私立の一貫校に通っていた彼女は、大学を途中でやめて美大へ入学した。わたしにとって、彼女は都会のキラキラしたものを凝縮したような人だった。
 鍛えられた細い体は、いつもシンプルで上質な服を纏っていた。決してブランドのロゴを大きくあしらった物は持たない。実家の外車には乗らず、小さくて可愛い車で色んな場所へ連れて行ってくれた。
 浜辺のバー、洒落たカフェ、華やかなホームパーティ、真夜中のクラブに舞台観賞。もしも、わたしが都会的な生活をしたことがあると言えたなら、それはすべて彼女から享受したと言ってもいいほどだ。
 彼女がすごいのは、相手を決して気後れさせないことだ。
 どんな場所でも感情をコントロールして、すべての人を気遣い、誰にも不愉快な思いをさせない。そして、それを悟らせない自然な振る舞いが彼女の美学なのだと、随分あとに気づいた。
「育ちがいい」という言葉は彼女みたいな人のことを言うのだろう。
 憧れとも違う、尊敬に似た感情をわたしは彼女に抱いていた。
 
 スープをたっぷり飲んだ体を眠気が襲う。聴こえてくるのは静かな波の音に混じった店員たちの会話。まるで愉快な楽器を奏でているような心地よい音。言葉は通じないけれど、目が合うと自然に互いの顔がほころぶ。
 広い砂浜にはわたしたちしかいない。陽射しが強かったこともあるのか、その東屋を思い出すとき、すべての場面が白光している。濁りのない純粋な白い光。
 
 眠気の中でわたしはミモに感動していた。虫の入ったスープを飲み干したことにではなくて、女性たちがつくってくれた食事とこの美しい時間を虫ごときで台無しにはさせない、という彼女の美学に。
 ミモと店員の女性たち。スープをつくった人と飲み干した人。彼女たちの優しさがあの浜辺に満ちて、それを思い出すとき、今でもわたしは幸福感に包まれる。
 もしも、どうしてあのスープを飲み干したの?という鈍臭い質問をすれば、「だって、美味しかったもの」と彼女は答えるのだろう。


 
(宮里 綾羽)
 
神々の
池澤夏樹・垂見健吾共著 2003年 文藝春秋
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 精肉店なのだが、乳酸菌飲料やサーターアンダギーのほうが目立っている。
 市場のメイン通りにある「精肉店 安里」。
 安里さんの制服は真っ白な調理服。それに、パーマヘアとゴールドの大きな指輪がキマっている。市場の外で見掛けるときは、テンガロンハットを被り自転車をすいすい漕いでいる。その姿はナポリの町を往く伊達男って雰囲気だ。
 安里さんの店の向かいには地域の子育て支援センターがある。親同伴で乳幼児が利用でき、いつも若いお母さんと赤ちゃんで賑わう。
 帰る時間になると、お母さんたちは片手で赤ちゃんを抱きながら大きな荷物を持っている。夏になると暑さも加わり、お母さんたちは本当に大変なのだ。きっと。
 そこに登場するのが安里さんだ。ときには、並んでいるベビーカーを一台ずつ道まで運び、お母さんの荷物を持ってあげて赤ちゃんを抱っこしてくれる。人見知りの赤ちゃんも安里さんには泣かないのだから不思議だ。
 赤ちゃんとお母さんのヒーロー、安里さん。
 この優しさが、また市場の客を増やしていく。に違いない。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2016©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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