20171126日 天気:曇りのち雨

 

『砂浜に坐り込んだ船』その二

「あやはー、おじさんはよー、おじぃーの映画を撮ってほしいんだよ。今度、時間のある時に撮ってくれないか?」
 サトルおじさんは、会うたびにこう言った。
 大学に提出する作品として撮ろうかとも考えたけど、東京から沖縄の離島まで通うのは難しい。東京で暮らしているからおじさんと会う機会も減って、たまに会ってもおじさんはもうこの話をしなくなった。
 父の親友のサトルおじさんが生まれた島は那覇から近く、一日何便も船が出ているから、小さいときから家族でよく遊びに行った。
 古くから島の男たちは漁のために海へ出る。島で待つ女たちは男たちが無事帰ることを祈る。信仰の強い島。
 サトルおじさんのお父さん(おじいちゃん)は海に出なかった。子どものときに溺れたことがあって、それ以来、船に乗らないのだと誰かに聞いたことがある。海に出ない男があの島で暮らしていくことがどれだけ苦しいことか。
 思い返してみると、サトルおじさんの実家におじいちゃんがいるのを見たことがない。みんながソファでくつろいで談笑しているときも、食事のときもおじいちゃんはいなかった。
 おじいちゃんを見掛けるのは、いつも海岸だった。わたしが友人たちと遊ぶ海岸から少し離れた浅瀬で一生懸命何かを獲っている姿。眩暈がするほど強い太陽の下で帽子も被らずに、ひとり黙々と海の中で手を動かす。短く刈り上げた白い髪、日焼けした肌、細くて筋肉質な体は、老人なのにストイックなスポーツ選手みたい。
 なぜだか、わたしは海岸にいる彼に一度も声を掛けられなかった。声を掛けてしまうと邪魔をしてしまう気がした。彼のいる美しい場所を汚してしまう気がしたから。
 
 サトルーは幼いときから潜るのが上手かったよー。魚をよく獲ってきたし、勉強もできて優秀だったのよー。というのが、おばぁちゃんの自慢だった。おばあちゃんというのは、サトルおじさんのお母さん。
 おじいちゃんが海に出られなかった分を補おうと、少年時代のサトルおじさんが海に潜ってがむしゃらに魚を突く姿が目に浮かぶ。
 おじさんは大人になって公務員をしながらも、休日には弟さんたちと海に船を出して魚やエビを獲っていた。サトルーは海に出たよ、とおばあちゃんは嬉しそうに話した。
 
 坐礁した船を新聞で見た男は実物を見たくなり、現地まで赴く。それが短編集『砂浜に坐り込んだ船』の表題作の冒頭。その夜、家に戻り撮影した船の写真を眺めていると、今は亡き友人が語り掛けてくる。
 順風満帆な人生を歩んでいた友人の日々に陰りが見えはじめたのは、母親を亡くして数年が経ってから。病気ではあったけれど、生命を放棄するような友人の最後。彼の人生を支えていたのが母親だったからなのか?それとも、母親との別れが唐突だったからなのか?男は人生に失望をしながらも、亡き友人と話すうちに人生を完成させることを考えはじめる。
 
 坐礁した船は美しかった。
 場違いであることを少しも恥じず、自分がいるところが世界の真ん中と言わんばかりに堂々と、周囲をうろつく人間たちを完全に無視して、優雅にそこに坐っていた。
 五千トンもあればそういう姿になれる。
 沖に大きなタグボードが来ていた。手を貸す機会を待っているのだろうが、その機会はすぐには来そうにない。それを承知でタグボードは静かな風を受けてぼんやりとただ待っていた。むしろ坐礁した船を羨んでいるように見えた。
 何かを思い出す、と考える。
 でも、何だろう?
 誰かのこと。
 誰かと自分のこと。
 一方はたしかに自分だが、もう一人は誰だ?
 この光景を誰かと肩を並べて見るとしたら、その相手は誰だろう?―――「砂浜に坐り込んだ船」より
 
 わたしには、おじいちゃんが坐礁した美しい船に見えた。
 海にいなければいけないのに、海から打ち上げられてしまった船。
 海が怖かったのに、いつも海にいたおじいちゃん。海に戻ることはできないとわかっているのに。
 サトルおじさんはおじいちゃんをとても理解していた。同じ島の男。課せられた運命に沿った歓びも恐怖も同じだから。でも、島の男は無口だから話すことができなかった。女と違って分かち合うことが不得意な彼ら。彼らも美しくて豊潤で残酷で濃厚な世界の一部。
 
 おじさんが「おじぃーの映画を撮りたい」と何度も言ったのは、おじいちゃんに伝えたかったからだ。おじさんはおじいちゃんに感謝とか尊敬とか、そんな陳腐な言葉ではないものを伝えたかったはずなのに。赦しとか、祈りとか。海に出られないのに海に向き合い続けるおじいちゃんを解放してあげたくて、息子としてだけじゃなく島の男として誇りに思っていることも伝えたかったはずなのに。
 なんで、あのときのわたしはおじさんの気持ちを汲めなかったんだろう。無口で優しくて人に頼み事なんてしないおじさんが、わたしに頼んできた唯一のこと。サトルおじさんはおじいちゃんの人生を完成させたかったのかな。
 おじいちゃんが浅瀬で黙々と作業をしていた後ろ姿。もう見ることができない美しい光景。サトルおじさんと肩を並べて見ることができたらよかった。
 人生を完成させるということ、今なら理解できるのに。思い出すと、後悔で胸が苦しくなる。

 
(宮里 綾羽)
 
砂浜に坐り込んだ船
池澤夏樹著 2015年 新潮社
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 今週、生まれてはじめての本を出版した。『本日の栄町市場と、旅する小書店』というタイトル(どこかで聞いたことがありますね。はい。このコーナーです)なので、栄町市場のみなさんもとても応援してくれている。有難いことに、購入してくれる方も多くて嬉しい。馴染みの八百屋「はいさい食品」に本を届けにいったところ、「はい、いくらねー」「1,728円です」「だー、はい」と言って、2,000円を渡してくれた。
「おつり、おつりー。金額が細かくてごめんなさい」と小銭を探すわたしに向かって、「はいさい食品」の果物部長が言った。「おつりはいーよ。シーブン、シーブン」だって。こんな逆シーブンもあるの?と戸惑うわたし。
「これは、店のみんなのお金だからいーよ。取っておきなさい、おめでとう」
 じーん。
 実は、栄町市場で消費税まで頂くのはどうだろうと悩んだ。市場では普通、1円単位はもらわない。端数は省くのが市場の流儀。なのに、今回は色々事情があって1円単位まできっちり頂いてしまっている。それが、気になって申し訳なかった。
 だから、今日のこのやり取りは本当に助かりました。
 市場のみんなの優しさにまたまた救われたのでした。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
『本日の栄町市場と、旅する小書店』(ボーダーインク)。
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2017©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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