2018121日 天気:晴れのち曇り

 

『知の仕事術』

 『知の仕事術』は著者の知識人としての誇り、「知」への理念を知ることができる。知識人に必要なのは「情報」、「知識」、「思想」。それらを端的に分かりやすく習得する方法が書かれている。知識人として生きたいひとのための技術、ハウツー本と言っていいだろう。
 この本を読みながら、わたしは、いつ頃から読書をするようになったかなぁと考えた。
 小学生のときに『赤毛のアン』シリーズにハマったことがあったけれど、バスケットボールに夢中でほとんど読書はしなかった。
 中学生になって、引き続きバスケットボール部に入部はしたけれど、ミーティングと称した先輩たちの説教(2、3時間も正座したままで愚痴を聞く)が練習よりも長く、ちゃんとした顧問もいなかった。真夏の練習中に水を飲むことも許されず、先輩が同級生に暴力を振るう姿を見て、次第に部活にも身が入らなくなった。
 そんなとき、友人が「これ面白いよ」と貸してくれたのが太宰治の『斜陽』だった。  
 いつも一緒に学校をサボり、隠れてタバコを吸う場所を探していたような彼女が、没落した華族、滅びていく大人たちの悲しさを、面白いよ、と言えることにショックを受けた。
 閉塞感に覆われた中学生活から逃げることができないと諦めていたわたしと違って、彼女は美しい別世界への切符を持っていた。羨ましいなと思って、わたしもどんどん本を読むことに夢中になった。『人間失格』、『津軽』、家にあった五木寛之の『青春の門』シリーズ。正直、面白いとは思わなかった。ただ、本を読んでいるときだけはこの世界にいなくてもよかった。こうして、わたしの読書人生は現実逃避からスタートした。
 
 ものを知っている人間が、ものを知っているというだけでバカにされる。
 ある件について過去の事例を引き、思想的背景を述べ、論理的な判断の材料を人々に提供しようとすると(これこそが知識人の役割なのだが)、それに対して「偉そうな顔しやがって」という感情的な反発が返ってくる。
 彼らは教えてなどほしくない。そういうことはすべて面倒、ぐじゃぐじゃ昔のことのお勉強なんかしないで、この場ですぱっと思いつくままにことを決めようよ。いまの憲法、うざいじゃん、ないほうがいいよ。さっくり行こうぜ。
 こういう人たちの思いに乗ってことは決まってゆく。
 この本はそういう世の流れに対する反抗である。
 反・反知性主義の勧めであり、あなたを知識人という少数の側へ導くものだ。―――『知の仕事術』より
 
 わたしたちの通っていた中学校には「知」がなかった。断言できる。
 学ぶことも知識を深めることもできず、ただただ今日という一日が無事に終わることだけが当時の望みだった。
 教師はみな無気力で、授業は垂れ流しのように行われた。妨害する生徒がいても彼らは上手に授業を続ける。教師というプライドはとっくの昔に捨てたみたいで、問題があっても見て見ぬ振りをした。暴力があれば必死に隠蔽する。救急搬送された同級生もいたし、鑑別所に送られた先輩もいた。中学校全体が暴力的な雰囲気と諦めに似た空気に支配されていた。大人になった今、なぜあのような学校が成立していたのか不思議なくらいだ。
 数年前から同じような空気を社会に感じることが増えた。最初は、このざらついた手触りというか、荒っぽい空気が何に似ているのかわからなかった。まさか、中学生のときに毎日感じていた不気味な空気と似ているとは。
 力ずくで相手をねじ伏せたい、気に喰わなければ叩く、自分たちと違うからいじめる。標的になるのが怖くて口をつぐむ雰囲気。風通しの悪さ。そこには議論やコミュニケーションはない。強い口調で他人を貶める者たち、無関心な者たち、冷笑する者たち、無知であることを開き直る者たち。
 今の社会はわたしが通っていた中学校にそっくりだ。
 大人たちがリードするはずのこの社会は、わたしが過ごした不条理な十代とそっくり。若くて、不安で、無茶苦茶で手がつけられない。今の大人たちは、昔の十代のように若いままで成熟できていないのだろうか。
 では、大人とはなんだろう?大人とは子どもたちを守る存在。子どもたちよりも知識がある、賢い存在。大人は無知であってはいけないのだとわたしは思う。
 無知は人を傷つける、ということを大人はもっと知らないといけない。無知が恥ずべきことだということを、わたしたちはいつから忘れてしまったのだろう。
 そういうわたしも知識人とは言えない。でも、わたしは「知識人」を目指す。子どもたちによりよい世界を引き継いでいきたいから。
 知らないことを知るということは、世界が広がっていくだけでなく、物事を深く見つめる目も養ってくれるはずだ。これからの時代を生き抜くために、無知なままでいるのか、知識人として生きるのか、それは、とても大きな分かれ目だと思うから。


 
(宮里 綾羽)

 
知の仕事術
池澤夏樹著 2017年 集英社インターナショナル
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

「一週間に一度、栄町市場にお肉を買いに来ている人がいるらしい」
「その人は銀座でお店をやっている有名人だそうだよ」
 そんな噂を聞いてからすぐ、その噂の人に会うことができた。
 噂はだいたい合っていて、その方は銀座にお店を構える有名なマスターで、二週間に一度、安座間精肉店で豚肉を買い付けていた。
 調べればしらべるほど、すごいお店だった。ハイボールの聖地で、ご本もたくさん出版されている。
 お会いした翌日、偶然、東京へ行く用事があったので、店長と母と一緒に勢いで銀座のお店を訪ねてみた。
 重厚な扉を開けると、カウンターと奥のテーブルにはお客さんがいっぱい。まだ16時を回ったばかりだというのに!銀座のスタートは栄町市場よりも早いようだ。
 糊のきいた白いシャツと蝶ネクタイでビシッと決めたマスターが難しい顔をして壁際のテーブルに案内してくれる。どうやら、お客さんはみんな常連さん。マスターの誰だろう?という表情。「昨日、栄町市場でお会いしました」と伝えると、「あぁ!」と驚いて、なんと常連さん専用であろうカウンターに案内してくれた。
 みんなが飲んでいるハイボールをウキウキで注文する。そのあとは、もちろん安座間精肉店のお肉のメニューを探す。あった、あった、三枚肉!と喜ぶわたしたち。
 安座間精肉店の三枚肉は分厚く塩茹でされ、キャベツの酢漬けとマスタードと上品に出てきた。わたし、銀座に嫁ぎました。というような顔をして。
 そのお肉の美味しかったこと!黄金色に光るハイボールの隣にいても全然見劣りしていなかった。あんた、すごいよ!銀座で立派だよ。と心の中で呟いた。
 お店を出てからも、「おいしかったねー」「素敵だったねー」と話すわたしたちの足取りはとっても軽くて、いつしか銀座の街から浮いていた。はず。
 銀座の夕暮れは、あのハイボールみたいに黄金色にピカピカと光っていた。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
『本日の栄町市場と、旅する小書店』(ボーダーインク)。
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2018©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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