2018610日 天気:雨のち曇り

 

『氷山の南』

 夕方になって暑さが少しやわらいだ。
 泊港はたくさんの人でごった返している。夏休みだからだろう、家族連れや大学生グループが多い。高校生のひとり旅は僕だけだった。父ちゃんと母ちゃんが揃って見送りに来てくれた
 夜、石垣島に寄港して多くの人が船から降りて、その分、多くの人が船に乗ってきた。
 基隆まで二泊三日の船旅。友達になった大学生たちに、高校生がひとりで台湾へ行くの?!と驚かれたりもしたが、特に自分が彼らよりも幼いとは思わなかった。
 小学校から始めたスポーツに打ち込んで、中学生になって地区でMVPに選ばれたこともあった。高校進学も部活を優先して決めた。でも、入部してみると上級生の暴力に目をつむるような環境だった。一年生のときに部活をやめた。
 それからは、ペンキの下地を塗るアルバイトをはじめた。結構、長く続いたよ。
 もうひとつ、田舎の家を一軒一軒訪ね歩いて、いい焼物を見つけ、父ちゃんに買い取ってもらうというアルバイトを始めた。父ちゃんは骨董好きだったからね。なかなかいいアルバイトだった。
 石垣島で上等な焼物を見つけて父ちゃんに連絡すると、すぐに那覇から来たこともあった。父ちゃんからは、まぁまぁ目があると思われていたんじゃないかな。よく褒められてはいたから。
 アルバイトで貯めた金で、一度、九州へひとり旅をした。それが面白くて、今度は台湾へ行ってみようと思った。長い夏休み、時間はたっぷりとあったからね。
 両親?いや、全然心配しているという感じはなかったよ。
 ただ、母ちゃんからは宝石が付いた指輪を持たされた。何かあったら、お金に換えなさいって。
 出発前に台湾事務所へ行き、ひとり旅をすることを告げると事務所の所長が喜んでくれて、色々と教えてくれた。
 
 17歳の父の冒険。
 船は石垣に寄港したあと、夜の間、西表島の近くで停泊したそうだ。
 
 朝、目が覚めると基隆の港に船が入っていった。
 あの頃、日本は中国と国交がなかったから、台湾には日本の商社マンがたくさん駐在していていた。高校生がひとりで旅をしているということで、商社マンの人たちが豪勢な夕食をずいぶんご馳走してくれた。
 そうだ、こんなこともあった。台北に近い烏来(ウーライ)という場所へ行ったら大雨が降り、崖崩れが起こって帰れなくなった。それで、玉突き場の台の上で寝かせてもらった。みんな日本語も上手だし、親切だった。
 旅で会う大人たちにご馳走してもらったりして、あまりにもお金が浮いたものだから、帰りは飛行機で帰ってきた。ノースウェストの南回り線。メインランドから(サンフランシスコかどっかだろうね)ハワイ、グァム、フィリピン、台湾、そして沖縄。沖縄から東京、アラスカかどっかへ行く飛行機だった。
 4本入りのタバコが乗客に配られて、みんな席で吸っていたよ。うん、僕も吸った。あの頃は、どこでもタバコオーケーだったから。
 そうして、父はタバコを右手の人差し指と中指に挟む仕草をした。
 
氷山の南』は、高校を卒業した主人公のジンが思い立って密航するところから物語がはじまる。
 あるプロジェクトのために南極を目指す大きな船。乗船を許されたジンは仕事を与えられ、個性的な大人たちと出会う。彼らの人種、出身地、宗教は様々。プロフェッショナルである彼らと仕事を共にし、生活を送り、ジンは少しずつ大人になっていく。
 さらに、乗船する前に出会ったアボリジニの少年、ジムとの再会で、アイヌの血を引く自分のアイデンティティーを見つめ、自分と世界の構図を知る。
 そして、ジンとジムは旅の終わりに大人になるための儀式を行うのだった。
 
 早い話が、自分なんか先は五里霧中だ。高校を了えて、シンディバードに乗りたくてオーストラリアに来てこっそり乗った。船の上でいろんな人に会って、新聞を作ってパンを焼いて、おもしろかった。
 すごいことだよ。すごい体験。
 日本にいた頃、北海道にいた頃はこんな風じゃなかった。もっとぼーっとしていた。
 留学と、密航と、それに今回の脱出。だんだん加速しているみたい。密航の時、最後のためらいを崩したのはジムが描いたヘビの絵だった。あれで決心したみたい。―――『氷山の南』より
 
 冒険は大人になるためのプロセス。
 大人になるということは、自分に対する世界や宇宙という存在がいかに強大で果てしないものかを知ること。
 守られるべき小さな存在から、世界に一歩踏み出す。覆っていた乳白色の膜に小さな穴を開け広げ、大海に漕ぎ出す。胸の高鳴りや好奇心といったキラキラ煌めいたものが、不安や恐れを忘れさせる。
 ジンや父と違い、わたしは大人になる手順を踏まずに歳だけをとってしまった気がする。
 仕事もしてきたし、責任も果たしてきたし、子どもたちを生み育てている。でも、何かが足りない。本物の大人になり損ねたような感覚。
 家出をしたことはあったけれど、それは現実から逃げるものであって、冒険ではなかった。冒険とは今ある現実を越えていくことだと思うから。
 
 17歳の旅は冒険だった?と父に聞いてみた。
「そんな大袈裟なものではないけど、達成感はあったよ。とても楽しかった」
 旅から帰ってきた父の姿は、祖父と祖母の目にどう映っただろう。子どもが大人になるのは寂しいけれど、嬉しいことだったと思う。
 眩くて、遠い17歳の父にやっぱり憧れる自分がいる。


 
(宮里 綾羽)

 
氷山の南
池澤夏樹 著 2012年 文藝春秋
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 与那嶺靴店はわたしたちの店舗(宮里小書店と金城商店)の隣の隣にある。
 隣の店はシャッターが閉まったままだから、実質的には隣の店舗。
 与那嶺のおとうさんが体調を崩してから数カ月が経つ。
「シャッター閉まってるけど。靴買いたいんだけど、いつ戻ってくる?」
 お客さんが困っている姿を見て見ぬ振りができない金城さん。
 最初のうちは、店と店の間にある秘密の通路から与那嶺靴店に入り、シャッターを開けてあげていた。
 そのうち、与那嶺靴店の娘さんたちからカギを預かり、靴を買いにくるお客さんが来たら、堂々と表からシャッターを開けるようになった。
 最近わかったのだけど、与那嶺靴店のお客さんは多い。
 金城さん自身の店より与那嶺靴店の商品を多く売る日も少なくなさそう。
 一度、金城さんが接客中のとき、与那嶺靴店のお客さんがやって来た。どうしても靴が買いたいという。
 わたし、行ってくるよ。と金城さんからカギを預かり与那嶺靴店の少し重たいシャッターをあげる。
 熱い空気のこもった店の中で、汗を拭いながらお客さんが靴をじっくり選ぶのを待つ。
 はぁ、これって結構難儀な仕事だなぁとポタポタ流れ落ちる汗を見ながら思う。
 それでも、お客さんが来る限り、金城さんはこの地味で難儀な作業を続ける。
「靴屋は休みだよって言えばいいのにー。金城さん、大変じゃないですか?」と金城さんに言うと、彼女はこう答えた。
「お客さんが買いたいって言ってるのに、知らんぷりできないよー。それに、少しでもおとうさんの病院の費用の足しになるかもしれないでしょ」
 金城さんの優しさに今回も感服した。本当にすごい人なのだ。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
『本日の栄町市場と、旅する小書店』(ボーダーインク)。
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2018©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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