2018731日 天気:晴れ

 

『楽しい終末

 先週、息子たちと一緒に「ストレンジャーズ」というダンスパフォーマンスを観劇した。
 空いていた最前列に誘ってくれた友人の娘Kちゃんと息子たちが座る。
 まだ小学生にもなっていない彼らが真っ暗な会場で言葉をほとんど発しない舞台を見続けることができるだろうかと心配したけれど、取り越し苦労だった。
 子どもたちはどんどんステージに引き込まれていく。笑ったり、怯えたり、リズムに乗ったり、舞台から少しも目を離さない。
 日本、韓国、マレーシア、タイという国籍も宗教も違う4名の男女が自分のアイデンティティと他人のアイデンティティを探しながら愛し合い、友情を育む。その後、4人の中でひとりが偏見や差別を受けたり、逆に自分と差異のある相手を攻撃したりする。
 後半、「クズ」、「裏切り者」、「嘘つき」、「日本人」、「韓国人」、「タイ人」、「マレーシア人」と書かれた紙がひとりの男性にどんどん張り付けられていく。
 さっきまで、自分たちと違う服を着た女性を脅して、攻撃していた彼が急にターゲットになったのだ。
 彼は呆然としたまま抵抗もせずに他人から張り付けられた悪意のある言葉、レッテルを受け入れていく。たくさんの紙が彼を覆う。動けなくなるほどに。
 
 高度に発達した資本主義は技術と結びついて次々に欲望を生み出し、それを餌に人を巧みに働かせ、見かけの繁栄を作り出す。それをもっとも上手にやっているのが、福祉などの社会主義的政策を低く抑えて国を運営しながら、他国から羨まれる優等生の経済と、最も勤勉な(死ぬまで働く)国民を生み出した国。他ならぬ日本である。資本主義は効率がいい。しかし、何の効率がいいかと言えば、資源を商品に変え、商品を廃物に変えるという一方通行の流れを速やかかつ円滑に行うという意味で効率がいいのである。これから、南の国々は見せびらかしの文化制度をそのまま取り入れて、北と同じ消費のレベルに達しようと努力と要求を続けるだろうし、現状維持を望む北の国々は資源温存を唱えてそれを抑えにかかるだろう。そして、そこにはもう理性によって社会全体の最適制御を求めるという本来の社会主義の理念は存在しない。社会主義は泥に塗れたばかりか、血までたっぷりと吸ってしまった。人はもう選良の知恵を信用しない。残っているのは野方図なレッセ・フェールだけ。われわれ資本主義国の住民は偉大なる競争相手を失ったのだ。―――『
楽しい終末』より
 
楽しい終末』には終末に相応しい題材が多く取り上げられている。
 核、エイズ、大気汚染、洪水、地球の沙漠化、南北問題や内戦など。
 核の章は3.11を予見していたかのようだし、南北問題は終結する兆しを見せ、エイズは不治の病ではなくなった。けれど、テロの絶えない世界は続いている。
 正直言って、わたしはもう大気汚染や地球の砂漠化にまでは目がいかなくなってしまった。
 子どもたちを取り巻く社会問題のほうをすぐにでもどうにかしたいから。
 わたしたちの住む国は経済を優先して、消費に夢中になっている間に、子どもたちを生産性と呼ぶような政治家を輩出してしまった。経済を効率よく動かすために子どもたちを生んだのではない。国のために子どもたちは生まれたんじゃない。
 ポル・ポト政権について書かれた「我が友ニコライ」という章がまったくの人ごとだとは思えなくなっている。重たい靴音がすぐそこまで迫ってきているような気味の悪さ。
 わたしたちは、終末という言葉がぴったりの社会に暮らしているのだ。
 
 舞台に戻る。
 憎しみの言葉で体も顔も覆われた男性はしばらく立ち尽くしたあと、美しく舞いながら紙を振り落としていった。
 紙が全部落ちたとき、他人の目によって塗り固められ、社会にがんじがらめになり、憎しみに満ちて誰かを貶めることで、自分を貶めていた彼自身は解放された。
 彼は彼そのものになった。
 誰にもコントロールされない、生産性などという恐ろしい言葉に支配されない、恐怖も憎しみも持っていない人間に戻った。
 最後、出演者全員が自分たちの幼かったころの写真を観客に配り、それぞれの言葉で話し掛けていった。子どものときの自分はこうだったんだと一生懸命話している。
 子どもたちは目を輝かせて話を聞いている。日本語、韓国語、マレー語、タイ語の軽やかな音が会場を明るくした。
 舞台が終わり、息子たちとKちゃんはもらった出演者の写真を見せ合う。
「これは、カンプーしていたおねえちゃんのだよ」
「オレは黄色い服を来たおにいちゃんの写真をもらった」
 まだ、何者でもない子どもたち。性別はあやふやで、言葉が通じず、肌の色が違ってもすぐに一緒に遊びはじめる無垢な姿。
 彼らから憎しみや怒りを遠ざけることが、わたしたち大人の役目なのかもしれない。子どもたちを守ることができるのは大人だけなのだ。
 憎しみや怒りは人を傷つける。誰もが人を苦しめる言葉を発してはいけないし、書いてはいけない。そういう感情が広がると争いになり、やがては戦争になってしまう。幼いころに家や学校で教わったこと。
 こんな当たり前のことを、大人になってもう一度考えている。

 
(宮里 綾羽)

 
楽しい終末
池澤夏樹 著 2016年 株式会社ixtan
楽しい終末
池澤夏樹 著 2012年 中央公論新社
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毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 栄町市場にアイドルが誕生した。
 栄町市場にはもともと、おばぁラッパーズという不動の人気を誇るアイドルがいますが、彼女たちは屋台祭やイベントの時にしか会えない。
 でも、ニューフェイスのアイドルは昼間の栄町市場に行けばいつでも会えるのだ。
「はいさい食品」のSくんだ。彼は「はいさい食品」の孫の世代。
 最初は笑顔の爽やかなかっこいい男の子が手伝いを始めたんだな~とみんな思っていた。はず。
 しかし、Sくんは外見だけではない。超実力のある商売人なのだ。商売人としての潜在能力がとにかくすごい。
 一人ひとりの名前を覚えて、「あい!○○さん」と声を掛けていく。彼に声を掛けられたらおばぁもおじぃもつい、顔がほころぶ。
 そして、実に自然にお客さんの重たい荷物を運んでくれる。みんな、メロメロ~。
 中には気難しい方とかもいるけれど、彼に会うとみんな笑顔、照れ笑い。
 向いの金城さんは言う。
「あれは、天性の商売人だ!才能あるよ!」
 すると、そっと現れた隣の謝花さんも一言。
「Sはかわいいよー。優しいぐゎーだしねー」
 Sくんの話が始まると、みんなが語りたがるのだ。
 これこそ、アイドルの証だね!
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
『本日の栄町市場と、旅する小書店』(ボーダーインク)。
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2018©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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