2018526日 天気:晴れのち曇り

 

『星の王子さま』

 黄緑色のプラスチックのかごの中で、蝶たちは羽を閉じたままだ。
 深緑色の山々の連なりがどこまでも続く。山頂の輪郭は濃く、青い空と山をくっきりと分けている。クゥィックゥィックゥィッとヤンバルクイナの泣く声が近くから聞こえる。
 じりじりと暑い陽射しの下でひらひらと軽やかに飛ぶ蝶を追いかけていた息子たち。
 捕まえた一匹一匹をじっくりと見ながら、彼らは驚きの声を上げる。蝶の美しさに魅了されていることがこちらにも伝わってくる。
 
 息子たちが生まれてからしばらくは、彼らの動作や目の動き、泣き声、笑い声で彼らの感情や欲するものを推測していた。
 しかし、言葉を覚えた彼らはこちらが思ってもみないことを話し始めた。
「赤ちゃんのときに泣いていたのは、ママがいても寂しかったからだよ」
 赤ちゃんにも寂しい感情があるという当たり前のことに思い当たらなかったこと、誰かと一緒にいても寂しさを紛らわすことはできないということを思い出してハッとした。
 彼らは時おり、さらりと真理を口にする。彼らの言葉に触れると、知識や理性でがんじがらめになっているわたしは少しだけ彼らの方へ引き戻される。
 わたしはまた、わかったつもりになりすぎていた。
 
 こんなこともあった。
 墓参りの帰り道、死んだ人はどうやってお墓に入るの?と息子が尋ねてきた。できるだけ事実を伝えようと思い、こう話した。
「死んだ人の体を焼いて、残った骨をお墓に入れるんだよ。骨は灰のようになる。灰?灰というのは砂に似ているけど、もっとサラサラしていて軽いんだ」
 それを聞いた幼い息子は、「お墓に入りたくない」とぽろぽろ涙を流した。
「大丈夫だよ。まずは、ママとパパが骨になるから。でも、それも、まだ先のことだよ」
 そう話すと今度は、「パパとママが焼かれるなんていやだー」と大泣きしてしまった。
 この一件を機に、彼らは死や墓や天国について質問してくるようになった。天国のことはわからないけれど、死や墓についてはできるだけ誠実に答えたつもりだ。
 お祭りみたいに騒がしく、ふわふわと楽しい夢の中にいるような日々の中で、死への不安や寂しさが突然流れ込んでくるような。幼いころの自分にも確かにあった感覚。
 その不安は思春期になっても突然現れ、わたしを静かで薄暗い場所へ引っ張って行くのだ。
 大人になるにつれ、死の不安や寂しさをわたしは上手に避けるようになった。それについて考える時間は陰気なことのように思えたから。
 でも、幼い息子たちは容赦無く死について聞いてくる。息子たちと何度も話すうちに、わたしも彼らのように死や不安を真っ直ぐ見つめられる気がしてきた。
 命は永遠ではなくて、いつか終わりがやって来る。
 大切な人が死んでしまうととても悲しいけれど、時間が経つにつれて、悲しみは少なくなるはず。体は消えてしまっても、大切な人は心の中に生き続ける。星の王子さまも言っている。「大事なことは目では見えない……」
 最近の息子たちは、死についての捉え方が大きく変わってきたように思える。恐怖ではなくて、新しい始まりだと思っているようなのだ。
「また生まれるときは、また家族だよ」
 
 星の王子さまと息子たちは似ている。余計なものを見ていない。遊んだり、楽しくおしゃべりをしていると突然、真理の言葉が飛び出すものだから、大人は驚く。
 そして、また少しだけ引き戻してくれるのだ。無駄なものを見ず、不要なものに囚われていないかった子ども時代に。
 わたしの中にも、まだ星の王子さまはいる。
 だれの中にも、きっと星の王子さまがいる。
 思い出させてくれた息子たちは、やっぱり星の王子さまに似ている。
 大人になるにつれて心の隅っこ、奥底に追いやってしまった星の王子さまを引っ張りだすことは、自分に問い掛けて大切なことを思い出すということだ。
 
 山々を背景に、虫取り網を持って走り回る息子たちの姿はいつにも増して小さい。
 夕方が近づいてくる。黄金色の光が辺り一帯を少しずつ染めていく。
 家路につく前にかごの中の蝶を一斉に外へ逃がした。蝶たちはスローモーションのようにゆっくりと漂ったあと、バタバタと羽を素早く動かして高く高く飛んでいく。
「また、会おうね!」と見えなくなりそうな蝶に息子たちが一生懸命語りかける。
 彼らは蝶を所有していたのではなかった。一瞬の友達だった。
 
 自然に対して働きかけ、その過程を通じて真理の断片を得る。書斎で黙想する哲学者ではなく、外に出て働きながら考える思想家。これが彼の生きかたの基本姿勢であり、だから彼はパイロットという職業を持つ文学者になった。飛ぶことを通じて得たものを文学に持ち込んだ。
 そしてしばしば自分を農夫になぞらえた。空を開拓し、この広い畑を世話し、そこから収穫を得る。たまたま今ぼくはフランスに住んでいるが、この農業国にいると大地と人間の関係について彼が考えたことがよくわかる。人とはまずもって大地を耕すものである。「王子さま」はバラの世話を通じてバラを愛するようになる。すべてはこの働きかけから始まる。この自然への積極的な姿勢をこそキツネは「飼い慣らす」と呼ぶのだった。―――池澤夏樹訳『星の王子さま』「訳者あとがき」より
 
星の王子さま』の著者サンテグジュペリがパイロットだったという話はよく知られているが、リビア沙漠に不時着して生死の間を彷徨う経験をしていたとは知らなかった。
 そのエピソードを彷彿させる、はじめて星の王子さまと沙漠で出会う場面。
 死ぬか生きるかという状況で「ヒツジの絵を描いて」という王子さまの無邪気さが、ただ天真爛漫な少年の言葉ではないと物語を読み進むうちにわかる。
 大切にしていたわがままなバラに愛想を尽かして、小さな星を出てしまった王子さま。しかし、ほかの星を巡りいろんな大人を見て、地球ではキツネに出会う。
 キツネは王子さまに言う。
「きみがバラのために費やした時間の分だけ、バラはきみにとって大事なんだ」
「人間たちはこういう真理を忘れている」
 星の王子さまの長い旅は、自分への問いの旅だったのだ。そして、王子さまは大切な答えを見つける。
 
 夕陽が沈み、昼間と夜の間にしか見られない美しい紫色のグラデーションが空いっぱいに横たわる。
 息子が誰に言うともなく呟いた。
「今日はいい一日だった」
 空気が明るくなり、生命が広がった気がした。

 
(宮里 綾羽)

 
星の王子さま
サンテグジュペリ著・池澤夏樹 新訳 2005年 集英社文庫
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 COFFEE potohotoの店主、山田夫妻が年に一度の里帰りのため、今週の月曜と火曜はスタッフの安里さんがひとりでがんばっていた。
 安里さんがCOFFEE potohotoで働き始めて4年になるそう。コーヒーはもちろん、スイーツも好きな安里さんは次々と甘くて美味しい新商品を発明していく。
 今年のはじめは、キャラメルラテとショコララテが期間限定で発売された。キャラメルラテの上には、キャラメルとナッツを固まらせて砕かれたものが乗っかってキラキラと煌めいていた。ショコララテの上にはこだわりのカカオと黒糖を粉状にしたもの。
 新しくて、美味しくて、本物志向。こだわりの商品を生み出す安里さんなのだ。
 安里さんの朝は早くて、6時半には市場に到着して店周辺の掃除からスタートする。そんなわけで、ときちゃんさんや比屋根さんという市場の大先輩からも一目置かれている。
 安里さん、今日と明日がんばってね!とコーヒーをすすりながら話していたら、おばさんがやって来て、こう言った。
「はい、おにぎり2個!今日はひとりだからランチ食べる時間ないでしょ!」と去っていった。かっこいい。
 わたしもおばさんに感化されて、「おかずの店 かのう家」でおかずを2種類買った。
「おじさん、今日は安里さんひとりだから、おかず持っていこうねー」
 夕方になって、少し客足が引いたpotohotoへ再び行ってみる。
「安里さん、ランチ食べる時間ありました?」
「ありがとうございます。たくさん食べました。あの後、かのうさんも定食持って来てくれて、いつもの2倍です」
「・・・・・・・」
 そんなわけで、安里さんのひとり店番は彼がどれだけ愛されているかよくわかる2日間となりました。おつかれさまでした!
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
『本日の栄町市場と、旅する小書店』(ボーダーインク)。
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2018©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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