20161022日 天気:晴れ

 

『完全版 池澤夏樹の世界文学リミックス』

 ふくよかな体をゆっくりと左右に揺らしながら彼女はいつも現れる。杖をついているのは左足が悪いから。病院へ行く以外は滅多に外に出ないからか、肌は真っ白だ。肌も髪もよく手入れされていて、服は派手ではないけれど上等な仕立てだと一目でわかる。
「ねーさん、ここは本屋ねー?だー、久しぶりに本を買ってみよう。なにかいい本はあるかな?」
 これが大城さんとわたしの出会い。彼女はわたしのはじめての常連さんになった。
 最初に勧めたのは須賀敦子の『ヴェネツィアの宿』。一週間後に再び小書店にやって来た彼女は、少し興奮していた。
「感激した!とっても面白かったよー。嬉しかったのはねー、わたし、須賀さんと同じ歳なのよー」
そう言って、今度は『トリエステの坂道』を購入した。その後も彼女は読み続け、小書店にある須賀敦子を読み尽くした。
 
 1年ほど前から病院以外へは外出ができなくなった大城さん。体調も芳しくないと聞き心配したが、電話で話す声はいつも明るい。彼女が電話してくるのは、決まって面白い本と出会ったときや好きな作家の記事を新聞で見つけたとき。
「嬉しくて誰かに話したいのに、わたしにはあなたしかいないの。ごめんなさいねー。でも、どうしても話したくてねー。ふぉっふぉっふぉ」
 
完全版 池澤夏樹の世界文学リミックス』には、仲の良い友人と本について語り合っているような楽しさがある。著者が個人編集した『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』を糸口に世界の様々な小説を知る楽しみ、既に読んだ物語への嬉しい共感が得られる。本が本を繋ぎ、世界が無限に広がっていくようでワクワクする。読書の本質的な喜びじゃないだろうか。
 
 ある本が好きになると、その周辺の本も読みたくなる。小説ならば続きはないのかと探す。ノンフィクションだと同じ場所・同じ時代を書いた別の本はないかと欲が出る。―――完全版 池澤夏樹の世界文学リミックス』より
 
 大城さんが須賀敦子を好きになったのは、確固とした思想や経験に裏打ちされた彼女の美しく芯の強い文章だけではなく、同じ歳ということもあるらしかった。
「わたしは女学校の最後の生徒だった。1年生だったから家に帰されたけど、3年生は看護要員として戦場に出て行ったわけさー。那覇に戻ってきたら、空襲で全部焼けているわけ。なんにもない。呼び出されて先生もみんなで泣いて学校を解散した。戦争が終わって同級生と集まってさー。あんたは生きていたねー、あの子は死んだんだねーって。こんな話、わたしは初めてするよー。ふぉっふぉっふぉ」
街を失い、学び舎を失い、先生を失い、先輩を失い、同級生を失った。
 学校を卒業することはできなかったが、結婚しても本はずっと読み続けていたそうだ。「台所でもどこでも読んでいたよー」
そして、彼女は85歳で須賀敦子と出会った。
「あの時代にこんなに勉強していた須賀さんはすごいよー。海外まで行かれて」
彼女の言葉には須賀敦子への希望を感じる。同じ歳の須賀さんがこんなに頑張っていたんだ、という誇りと歓び。
 
 ある日、彼女が一冊の本を携えて小書店へやって来た。
「宮里さん、これ読んだ?読んでない?そう思って、持ってきたよー。とぉ、大いに読みなさい!」
 須賀敦子の人生を辿りながら彼女の作品や愛した文学を巡る本だった。わたしも須賀敦子の作品が好きで彼女に勧めてきたわけだが、彼女はわたしなんかをとっくに飛び越えて先を歩いていた。好奇心としなやかさはいつも彼女を若返らせ、本を読むたび新しい旅へ出ていくように見えた。須賀敦子を通した旅に。
 大城さんが帰ったあと、彼女の旅を思ってみる。
 ミラノの大聖堂を見上げて「すごいねー」と呟き、市電の椅子に座り小さな鞄をしっかりと膝に抱えて窓から流れる景色を見る。夕方になるとコルシア書店に戻って一日の仕事を終えた人々が議論するのを楽しそうに眺め、夜には友人のアパートメントでワインと芯の残ったリゾットを食べたりする。
 ヴェネツィアでは遠い記憶から現在に至るまでを振り返り、フランスでは居場所のないような孤独感も少し味わったかもしれない。傍らにはいつも須賀敦子がいる。
 
 第二次世界大戦の後、植民地が独立し、女たちが元気になり、人は前よりずっと多く旅をするようになって、小説に参加する人たちの数がぐんと増えた(参加する、というのは、書き手になったり登場人物になったりする人たち全部だ)。そのせいで二十世紀後半はこれまででもとりわけおもしろい小説が書かれた時期だった。それを踏まえてこの全集だったと改めて思う。―――『完全版 池澤夏樹の世界文学リミックス』より
 
 大城さんと旅をしたいな。きっと楽しい旅になる。
 軽やかにトリエステの坂道を登る彼女は、息切れしながら歩くわたしに振り返って言うのだ。
「ほれ、宮里さんもう少しよー。見てごらん、海が見えてきた。はぁー、綺麗ねー。ふぉっふぉっふぉ」

 
(宮里 綾羽)
 
完全版 池澤夏樹の世界文学リミックス
池澤夏樹著 2011年 河出書房新社
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 先週末、栄町市場を紹介するテレビ番組の撮影があった。
 遅れて出勤すると、小書店の向いのKさんが「歌手が来てるよ~。みんな見に行ってる」と言う。「Kさんは見に行かないのー?」とわたしが聞くと、あまり興味もないというように、「さっきチラッと見てきたよー」だって。
 さて、放映の日。長崎に雨が降ったと歌う有名な歌手が昼の市場に足を踏み入れたそのとき、、、手を振って出迎えていたのがKさんだった。「いらっしゃい」と笑顔でインタビューを受けている。テレビカメラの前だというのに堂々としていて、まさにストーリーテラーの本領発揮。チラッと見ただけにしては、随分長い時間喋っていたような。
 映る人が知っている顔ばかりで嬉しくなる。インタビューに答える人の名前と年齢がテロップで紹介されるのだが、みなさん年齢よりも若くて驚いた。
 特に驚いたのが、ご夫婦で化粧品店を営む瀬長さんの奥さんだ。年齢を聞かれて79歳と答えると、歌手がえーっと大声を出す。それはそうだ、白くてきめ細かい肌、髪もツヤツヤの彼女は、とても79歳には見えない。テレビを見ながら、思わず「へー!」とわたしも唸る。
 翌日、市場がいつもより活気づいていたのは気のせいではないはず。お客さんもKさんに「テレビ見たよー。女優デビューだねー」「有名人!」「映画スター」とどんどん声を掛けていく。
 わたしも瀬長さんといつもの挨拶を終えて、つい「79歳には見えないよ!若すぎるよー」と話し掛けた。すると、隣にいた旦那さんが小声で言う。
「本当は70歳だよ。年齢、テーゲー(適当)に言っただけって」
 年齢のサバを読むというのは若く言うものだと思っていたが、市場では必ずしもそうではないみたい。なんでだろう、と考えてもわからないので、向かいのKさんに聞いてみた。「とっても若く見えるんですね!って最初に言われたから、引くに引けなくなったんじゃない?」
 なるほど、、、。そういうものなのかな。確かに、70歳よりも若く見える彼女が79歳って言うと誰でもびっくりするよなぁ。
 道行く人に「あんた、若いさー」と声を掛けられる瀬長さんはまんざらでもなさそうだ。とういか、とても嬉しそう。女心は複雑だよね。多分。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2016©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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