2016108日 天気:晴れときどき曇り

 

『双頭の船』

 大学の下見のため、父と上京したときのこと。
 新宿駅の入口の前で南米人と思しき男性たちがギターや笛を奏でている。少し人だかりができていて、父とわたしも立ち止まった。
 その音色が楽しくて、いつの間にか足がリズムを取っている。
 タ~タ~タ~タタタ~。雄大なものが聴こえてきた。「コンドルは飛んでいく」だ。音楽というよりも教典とか説法を聴いているような、いや、祈りだったかもしれない。そこだけが雑踏から切り取られて濃密な場所になった。
 人だかりの中から初老の男が現れる。ボロボロの服を纏い、酒に酔っている。男は演奏者の正面で体を小さく丸め、動かなくなった。しばらくして体が少しずつ伸びてきた。脇をしっかりと締めて両手を小さくパタパタさせる。父が言った。「コンドルだ」
 男の踊りは、壮大な歌のクライマックスとともに大きくなっていく。両手をいっぱいに広げてゆっくりと動かす。腰を深く落として、人だかりに沿って大股で歩き出した。いや、旋回していた。
 演奏が終わると、男は再び体を小さく縮め拍手の中に消えていった。コンドルの一生を一瞬で見たような、不思議な感動が残った。
 それから十年後、妹と地下鉄ソウル駅を歩いていると南米の音楽が聴こえてきた。同じ人ではないだろうけど、似たような民族衣装と山岳民族っぽい帽子を被り、黒々とした長い髪を束ねた男性がギターと数種類の笛を器用に使い分けて演奏している。
 少しだけ聴いていこうと階段に座った。この人の演奏をよく覚えている。すごく上手だった。音に奥行きがあって軽快で、目の前の景色が広がった。
 わたしたちは手を叩いたり、ヒューっと言ってみたり、とにかく気持ちが盛り上がった。そして、「コンドルは飛んでいく」が始まった。
 切なさが胸を覆っているのに、体は空高くまで上り、風に乗って何処までも飛んでいけそうな自由を感じた。
「アンデスが見える」と妹が言うから笑ってしまったけど、確かに、演奏者の後ろにアンデス山脈が立ち現れた。
 
双頭の船』。瀬戸内から出発した船は、途中、二百人のボランティアを乗せて被災地へ向かう。
 やがて、被災者を乗せた船には仮設住宅が建ち、人々は船の上で仕事を再開させて新しい街ができた。漁師たちは再び漁船に乗り漁をはじめた。
 あるとき、漁師たちが連れ帰った六人の男たちはペルーのミュージシャンと名乗った。彼らが船上ではじめに演奏したのが、「コンドルは飛んでいく」だった。
 彼らが演奏を終えるとき、一緒に暮らしていた死者たちが船を去っていく。「みんな、ちゃんと向こう側に行きましょう」というミュージシャンのアルベルトの言葉とともに。
 
 その後にたくさんの人が続いた。客席のあちらこちらで立ち上がった人たちが列を作って海に降り、音楽に導かれて水の上を歩いていった。子供たちもたくさん混じっている。
 残された人たちが泣き始めた。
 身内の名を呼ぶ声が行き交う。
 「波瑠!」という声がして、それに応じて列の中で一人の女の子が振り返って手を振った。そしてまた前を向いて歩き始めた。
 しかたがないのだ。いつまでもなかったことには出来ないんだ。
 みんなそれはわかっているけれど、それでも別れることは辛い。別れを納得するために人は何度も別れをしなければならない。―――『双頭の船』より
 
 別れや悲しみを紛らわしても、それは結局先延ばししているだけのこと。そんなことはみんな分かっているけれど、できるならばずっと一緒に戯れていたい。
 でも、いつかは踏ん切りをつける。つけなければいけない。
 そして、また家に帰りたい。最愛の土地へ戻りたい。コンドルが連れて行ってくれると信じて。だから、わたしたちはこの歌に惹かれるのだろう。
 船の住民たち、南米から世界中に出稼ぎに出ている演奏家たち、新宿で踊っていた男性、そして、小書店の向かいの店主Kさんも。
 
 店で「コンドルは飛んでいく」を流しながらこの原稿を書いていた。すると、Kさんが「え?なんでこの曲が流れてるの!?」と驚く。
 高校を卒業してすぐ、一年間会社の研修のために名古屋で暮らしていたそうだ。
 沖縄に帰りたくて毎日泣いたという。そのときに出会ったのがサイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」だった。
「ドーナツ盤買ってさ、それを聴くために小さなプレイヤーまで買ったよ」
 仕事を終えて、寮の部屋で何度も聴くのが日課だったそうだ。四十五年前の彼女の生活にこの歌があった。
「この歌を聴くと悲しくなるんだけど、でも、とても落ち着くんだよね」

 
(宮里 綾羽)
 
双頭の船
池澤夏樹著 2013年 新潮社
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 市場には美容室がたくさんある。小さな市場なのに八軒くらい。
「これでも随分減ったんだよー」と市場の先輩たちは言う。
 昔は市場の外に料亭がいっぱいあったから、女将さんも仲居さんも踊り子さんも毎日髪のセットに来たのだそうだ。
「着物の半襟も足袋だって、一回汚れたら使い捨てだったよ。だから、よく売れよったねー。商品が足りなくなって、一日に何度も車で仕入れに行きよった。はー、懐かしいね」
 そんな話を聞きながら、いつも以上に人通りのない通りを眺める。今日は暑いもんね。
 そんな羽振りのいい時代があったなんて夢のようだ。市場中が華やいでいた時代。
 髪を切ったことはないけれど、着付けと髪のセットなら何度かしたことがある。安くて早くて動きやすい。わたしもあの時代の恩恵を少しは受けているということなのかな。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2016©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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