201779日 天気:晴れ

 

『南の島のティオ』

「ねぇ、一緒にパラオ行かない?」
 果歩にはじめて声を掛けたのは、高校の前のバス停だった。なぜか、ウマが合う気がして気がついたら話し掛けていた。で、実際、ウマが合った。
 一度も同じクラスになったことはないけど、綺麗な子がいるなぁと顔だけは知っていた。
「うーん、行きたいけど。親に聞いてみる」
 と彼女は素っ気なく答えて、結局、わたしたちは高校二年生の夏休みにパラオへ行った。大きな船に乗り、香港、ベトナム、フィリピンを経由して最後に到着したのがパラオだった。
 ヘンテコな出会いだったけれど、果歩との付き合いは今も続いている。
 彼女は冷静沈着で、焦ったり浮かれたりする姿を一度も見たことがない。わたしと正反対の落ち着いた人。あと、高校生とは思えない高い美意識を持った女の子だった。一度、放課後に本屋で白州正子の本を勧められた。誰なのかわからないまま、果歩の勧める本ならと買ったその本は器や能の話ばかりで、当時のわたしには難しかった。途中で投げ出してしまったけれど彼女が好みそうな硬派で美しい本だった。
 
 果歩の美意識は結婚式でも遺憾なく発揮された。和装の彼女は美しくて幸福で輝いていた。大切にされているのだと思った。
 でも、真面目な果歩は忙しい彼と向き合う時間がないこと、分かり合うための話ができないことに次第に疲れていった。ハードだけど誇りを持って仕事をする彼と、思い描いていた家庭生活が築けずにくたびれていく果歩。どんどんすれ違っていくのが目に見えるようだった。
 彼女が家に泊まった夜。最近、彼と話をする時間が持てたと言った。我慢していた不満を彼にぶつけたら、彼も今まで口にしなかった不満を話しはじめた。もっと支えてほしいと言われたんだ。わたしも悪かったんだね。
 いつも人に頼らずに美しく生きてきた彼女は芯が強くて凛としている反面、弱い部分を他人に見せられない不器用な人だ。そんな彼女が不満をぶつけられる人を見つけられたのは、きっといいことだ。
 相手のこともわかったし、もう少しがんばってみるね。と言った彼女は前より元気を取り戻していた。
 
 彼の櫂から波紋が潮目の上にひろがってゆく。環礁から外洋に出たところで帆を張るつもりだろう。ククルイリックは遠いけれども、あのカヌーは確実にそちらへ進んでゆく。何があっても彼は大丈夫だ、必ず自分の島に着くだろう、そういう気持ちがぼくの中に満ちた。
 その日の午前中ずっと、ぼくはその山の上で、海と雲を見ながら、去っていった友達のことを考えて過ごした。―――『南の島のティオ』より
 
 島のホテルの息子、ティオ。ホテルには様々な人が尋ねてくる。受け取った人が必ずその写真の場所を訪れたくなるという魔法のハガキを作る男、理想の流木を見つけたものの日本へは持ち帰れずに管理を頼み続ける女、戦時中に島で一緒に暮らした恋人を捜す老人。ティオと人々の交流や島の濃密な日々に引き込まれていく。
 大きな台風に見舞われた隣島から避難してきたエミリオは、やがてティオの大切な友達になる。島で絆を深めていく二人だったが、エミリオはカヌーを作り、ひとりで自分の島にも戻る決意をする。仲の良い親友でも長い時間を共にした夫婦でも、結局は個人に還っていくんだ。自分のカヌーを漕ぐのは自分でしかないのだし、どんな場所に辿り着くのかも自分次第なのだとエミリオとティオの関係を見て思った。そして、近しい人がどこへ進むか決めたなら、わたしは応援することしかできないのだ。
 
 大きな船がパラオへ到着する前日、果歩が髪を切ってくれない?と言った。
 短くしたいと言うから、できるだけ短く揃えようとハサミを動かした。しかし、揃えようと思うほど、不揃いになっていく。不揃いな髪を整えようと思うと短くなる。彼女の頭皮が見え始めたときは血の気が引いた。「ごめん、これ以上切ると大変なことになりそう」
 鏡を見た果歩は、あははーと笑った。いいよいいよ、パラオに到着したら美容室を探すから。
 だから、わたしはパラオの海も山も、あの有名なジェリーフィッシュレイクも全く覚えていない。行ったのだけど、覚えていない。
 ひたすら、果歩の髪を整えられる美容室を探すために焦っていた。美しい顔に釣り合った髪型に戻さなければ、と。タクシーのおじさんに案内された店は掘っ建て小屋みたいな頼りない建物で、泣きたくなった。迎え入れてくれたおばさんは仏頂面が怖かったが、果歩はひるむことなく帽子を取り、この頭を綺麗にしてと伝えた。おばさんがよく切れそうなハサミを持ち、誰が切ったんだ?と問いかけてくる。「わたしです」と小さく手を上げると、おばさんはふっと笑った。
 おばさんは髪を切るのが上手で細かくチョキチョキチョキと根気強く果歩の髪型を修正していった。出来上がったヘアスタイルはなかなか素敵で頭皮も目立たない。
 はぁ、よかった。と安心してその場にへたり込みそうなわたしに、彼女は「大丈夫よー。大丈夫」と笑う。こんなときも落ち着いているからすごいなぁとしみじみ思った。
 そして、今度はわたしが彼女に言わなきゃいけない。あんたなら大丈夫ー。
 
 あのとき、ティオの島の人々が風変わりな旅行者を話題にするように、わたしたちもパラオで噂になっていたかもしれない。遠い日本から来た若い女の子たちが海へも行かず、床屋を捜していると。ひとりはだいぶ落ち着いていたけれど、もうひとりが目も当てられないくらい慌てていたよ。

 
(宮里 綾羽)
 
南の島のティオ
池澤夏樹著 1992年 楡出版
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

「町田精肉店」は店員が多い。「はいさい食品」に次ぐ多さではないかなぁ。そして、「はいさい食品」と同じく家族で店を営んでいる。娘さんと息子さんがお母さんと一緒に店に立つ姿は魅力的で、地元のいくつかのテレビCMでも彼らを見掛けるほどだ。つまり、絵になる家族だ。それなのに、わたしは一度も「町田精肉店」で買い物をしたことがない。
 八百屋や魚屋、おかず屋はその日の品揃え、その日食べたいもので店を選ぶが、肉屋は贔屓の店で買う。向かいの店主の金城さんは「町田精肉店」。わたしはその隣の「安座間精肉店」。特に意識してそうなったわけではないけれど、なぜだろう、そういうことになっている。肉屋だけは最初に選んだ店から浮気ができないような気持ちになる。市場のみんなにもいつか聞いてみたいけど、聞いてはいけない質問のような気もするんだよなぁ。
 で、自分なりに考えてみた。昼の市場の中でこの二つの肉屋だけが隣同士の同業者なのだ。だから、隣の店へ行くと浮気がバレるという心理が働いているのかなぁ。もちろん、たくさんの肉を買う人の中には両店で交互に肉を買う人もいるだろう。部位によって使い分ける通もいるかもしれない。だけど、わたしにはそれだけの甲斐性がない。甲斐性がなければ、よそで遊んではいけません。迷惑だから。
 それが、わたしの出した答えとしよう。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2017©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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