2016227日 天気:曇り

 

『冒険』

 オオシロさんが店にやってくるのは一カ月に一度くらい。
 薄い紫色のサングラスをかけ、指には数個の指輪。派手な色のジャージをセットアップで着て、足元は必ずナイキのエア・ジョーダンモデル。
 何足かあるらしいエア・ジョーダンはいつでも新品みたいにピカピカだ。セピア色の市場にはなんだか不釣り合いで眩しい。地面から少し浮いているように見えるのはわたしだけかな。
 そんな出で立ちの彼をはじめて見たとき、この人はきっと堅気の人ではないと思った。
 服装だけじゃない。70歳を過ぎているはずなのに柔らかい雰囲気が少しもないのだ。年を重ねると人間は丸くなる、なんていうのは偏見かもしれないけれど、それにしてもオオシロさんの持つ雰囲気は独特だ。細い体から鋭く研ぎすまされた空気を静かに発している。
 あまり喋る人ではないけれど、私たちの会話は少しずつ増えていった。元船乗りで子どもたちは東北に住んでいる。沖縄での一人暮らしを満喫しているようだ。
 若い頃から船に乗り世界中を旅してきたオオシロさんの話をもっと聞きたくて、色々と質問してみる。
 
一番綺麗な国はどこ?
「うーん、いつも海の上だったからなぁ。海の上はどこも綺麗だよ」
一番食事の美味しい国は?
「どこも美味しい。どの国も美味しかったなぁ」
じゃあ、一番女性が綺麗な国は?
「ベネズエラだ」即答だった。
 
冒険』は、船員として世界中をまわる兄に宛てた妹の手紙だ。
 突然、まだ幼い息子と消えた兄嫁の知子さん。
 東京から過疎化する離島に嫁いできた知子さん。彼女は夫の家族や島の人間ともうまく暮らしていたように見えた。わたしは彼女たちの足跡や行方を心配しながらも、知子さんがまた新たな冒険に出たのだろうと想像する。
 
 兄さんだって、わたしや父さんや母さんならば大丈夫と思ったから、知子さんをお嫁に迎えて、家を空ける船員の仕事でもしばらくは頑張ってやろうと考えたのでしょう。一生船に乗っているつもりではないでしょう。いずれは島に戻って、島のためになる仕事をいろいろやる、その準備としてしばらくは船に乗ってお金を貯めたり、外の世界を見たりする、それが兄さんの方針だと、知子さんはそう言っていました。恭太ちゃんも生まれて、なにもかもうまくいっているとわたしたちは思っていたのでした。―――『冒険』より
 
 本当にそうだろうか。わたしは違うことを思った。
 兄嫁の知子さんは気づいたのだと思う。船員をしている彼は簡単には島に戻らない。もちろん、次の長い船旅の休息として島に戻ることはあっても、世界の海の上で暮らすことこそが彼の人生になっているということを。
 愛する妻や可愛い息子と定住することを夢見る一方で、彼は海の上の人生を捨てることができないと知子さんはわかっていたのではないか。
 
「ペルーにも娘がいる」
ある日、当たり前みたいにオオシロさんが言った。 
 会ったりするのですか?と聞くと、あー、沖縄に3回か4回来た。そのときに会ったよ。
 そう言った彼には哀愁なんて少しもなくて、ただありのままのことを話すときの乾いた空気が漂っていた。
 家族のことを大事にして、もちろん愛しているのだろう。
 でも、どうしようもなく精神が自立しているのだと思う。
 長い航海生活の間に寂しさや孤独は溶けて消えていった。
 キラキラと輝く波間に。夕陽に染まった海面に。真っ暗で何も見えない巨大な夜に。
 彼らに残るのは優しくて自立した精神。清々しくて潔いもの。
 
 知子さんが幼い息子を抱えどこへ向かったかはわからない、と手紙にはある。
 
 心配して、いろいろと悪い想像をして、いよいよ心配になって、落ち着かない時間を過ごしながら、その一方でわたしは夢のようなことを考えています。きっと知子さんは兄さんに会いたくてしかたがなくて、それで島を出たのだ。だから、今ごろは南アフリカまで飛行機で飛んでゆく準備をしている。たぶん、この手紙と同じ飛行機で、恭太ちゃんも一緒に、長い長い旅をしてケープタウンへ行く。途中にいろいろな困難があって、それはもう本当に大冒険といってもいいような旅だけど、知子さんはぜんぜん平気でその旅をちゃんとやってしまう。会う人がみんな知子さんに手を貸して、二人が無事に旅を続けられるようにする。そういう力が知子さんには備わっているのです。―――『冒険』より
 
 母親には驚くほどの逞しさがある。愛しい夫に会うために、子どもと一緒ならばきっとアフリカでもどこへでも行ける。
 海の男の潔い強さとは別の、決して揺るぎない強さがある。


 
(宮里 綾羽)
「冒険」
池澤夏樹1990年 文芸春秋
 
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 寒さはまだまだ続いている。
 間口が大きく開きっぱなし。風がビュービューと吹き抜ける。ストーブのない小書店の冬は辛い。
 とーっても寒い日は向かいの店主Kさんと鍋をする。
 鍋は多めにつくって化粧品屋のIさんも誘う。Iさんが食べている間、わたしが化粧品屋の店番をする。
 先週も化粧品屋の店番をしていた。「あやちゃん、ごちそうさま~」とIさんが戻ってきたので、店に戻った。
 すると、見慣れない人がわたしの席に座って鍋を食べている。驚いて、思わず店を出た。もう一度確認するとKさんのお客さんのようだ。
「彼女、お昼まだっていうからあげたよー」とKさん。
お客さんは旦那さんと食べるための昼食の材料を買いにきたそうだ。
「はー、美味しいね!お父さんには弁当買っていこう。これ、代金いらないの?悪いさー」
じゃあ、商品買いなさい!という一言で、Kさんの店の肌着が一枚売れたのでした。
 チャンスを見逃さない商売人の精神を学んだ気がした冬の寒い日でした。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2015©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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