2016910日 天気:曇りときどき晴れ

 

『レシタションのはじまり』

 今年は台風が全然来なかったねぇ、と話していたら急に台風がやって来た。
 店番をするカウンター横のスージグワァー(小路)を風がビュンビュン抜けていく。雨が吹き込んでくるから、三枚並ぶシャッターの真ん中だけを残して閉めた。
「今日は早く帰るよー」と両隣が早々に店じまいを始めたので、わたしも便乗して店を閉めて家に帰ることにする。
 夜が近づくにつれ、風と雨音が激しくなる。こんな日は部屋を冷房で冷やして手触りのよいタオルケットを被って寝るのがいい。
 大雨の日に思い出す出来事の中でも、特に陽気で面白かったのは北関東の夜だ。
 
  工場での研修が終わったインドネシア人の送別会へ参加しないか、という誘いに乗った。それは、なんとも勢いのある送別会だった。まず、ヤギを一頭潰すところから始まったのだから。
 ヤギを煮込んだ料理がとにかく辛くて、体中から汗が噴き出し、目からは涙が溢れる。それでも、それらを拭いながら一生懸命食べた。さっきまで生きていたヤギなのだから、全て食べなければ失礼な気がしたのだ。
  リーダーみたいな男性が「チョットコッチニキテ」と言うので外へ行くと、バーベキューで焼かれたヤギが部位ごとに分けられ並ぶ。
「コレ、ミンナニヒミツ」と言って、白子を焼いたトロッとしたものを食べさせてくれた。美味しいけど、なぜ秘密なの?「コレ、ミンナガスキ。オイシイ。ダケド、スコシシカナイ」
 聞くと、ヤギの睾丸だった。とても人気のある部位らしい。
 食事が始まると人がどんどん増え、50、60名のインドネシア人が地べたに座って大小様々なグループをつくっている。笑ったり、ふざけたり、じゃれ合う姿を見ていると、彼らの小さな村に招かれたみたいな気持ちになる。集会所にいるような。祭が始まる前の雰囲気。
 
 そこに、今度は電子キーボードが運ばれて来た。伴奏がはじまると、それまでお喋りに夢中だった彼らがみな、皿を置いて歌い始めた。長渕剛の「乾杯」。
 
レシタションのはじまり』のセバスチアーノはブラジルの奥地、アマゾナスの小さな町に住む若者。彼は美しく奔放な娘と結婚するが、恋多き女性である妻は何度もセバスチアーノを裏切る。
 二人の間には争いが絶えず、セバスチアーノは遂に彼女を殺してしまう。
 町の有力者である妻の父親からの報復を恐れ山へ逃げ込むセバスチアーノ。
 「逃げる人々」と呼ばれる先住民に出会ったセバスチアーノは、ンクンレという唱えを知る。ンクンレを唱えると欲望が抑えられ、人々は自分が欲しがっているものの価値を改めて考えるという。やがてその価値は相対化され、それにしがみつく思いは薄れる。
 
 だが、あなたがたはンクンレを知っているために外の種族と競争することができず、結果としてひどく貧しい境遇に甘んじて生きているのではないか。競争力が殺がれるのはンクンレの害ではないのか。
 その問いに対して、われわれは充分に幸福であるとだけ言っておこう。
 これは自分はまだ経験が浅いから聞くのだが、ンクンレは自ら唱えるのではなく、外の誰かが唱えるのを耳で聞くだけでも効果を発揮するのか。
 そうだと思う。われわれは、誰かが自分に向かって唱えるのを聞けばすぐに呼応して唱えはじめるからそうでない場合とうのはわからないが、たぶん最初のところを少し聞いただけでも心は怒りを忘れ、平安が得られると思う。泣く赤ん坊はそうやって鎮められるし、崖下に怪我をして倒れていたおまえは、ンクンレのことも私らの言葉も何も知らないのに、そうやって鎮められた。―――『
レシタションのはじまり』より
 
 彼らが歌い上げる「乾杯」を聞き、その迫力と意外な選曲に最初は呆然と、そして、笑いが出てきた。まさか、インドネシアの曲ではなく、長渕剛が熱唱されるとは思わなかったから。
 彼らは日本へ研修に来る前に、インドネシアで短期間日本語学校へ通うらしい。そこで習うのが「乾杯」なのだそうだ。
「乾杯」を大声で歌う姿は、おかしさから少しずつ胸を打つものに変わっていった。故郷へ帰る友を歌で送り出す姿があまりに真摯だったから。毎日、日本人に混じって働き、お金を貯める日々は楽しいことばかりではないだろう。いつか、自分たちが帰る日のことも重ね合わせているかもしれない。
 もちろん、ンクンレのように欲望を和らげる効果もないし、怒りや憎しみを鎮めることができるわけではないけど。でも、彼らが週末や集まりで「乾杯」を歌うたび、心の平安を取り戻し、異国で自分を保つことができるのだとしたら。それは、もしかしたらンクンレの遠い遠い親戚かもしれない。
 
 送別会を終え、次の約束のために新宿に向かった。都会的でオシャレなクラブでのパーティー。
   いつもならば、気後れしたり、気取ってしまう場所で、私はいつになく堂々としていた。ヤギカジャー(ヤギの匂い)をさせながら。
 
   多分、セバスチアーノが山を下りていった時の心境と少し似ていた。
 できれば、ここでも分かち合えればと思ったのだ。工場で得た幸福のようなものを。
   構えて生きていくのは大変だよ、もっと肩の力を抜いてみて。誰もあなたの敵じゃない。
  でも、うまく説明ができない。だから、堂々と柔らかい自分でいようと思った。

 
(宮里 綾羽)
 
レシタションのはじまり
池澤夏樹著 2007年 新潮社
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

  市場に座って学んだこと。市場で何より大切なのは隣近所との付き合い。
  例えば、私がいないときは向かいのKさんが客に本を売ってくれる。反対にKさんが一カ月ドバイへ行っていて留守のときは私がKさんの商品を売っていた。個人商店が多い市場では、隣近所は心強い助っ人だ。
  特に隣近所の連携プレーが素晴らしいと常々思っていた店を勝手に紹介する。
  てんぷらの店「拓水」、ヤクルトや肉の店「安里精肉店」、漬物などの店「宝和商店」だ。
  こちらの三軒はいずれかの主人が不在でも誰かが見ているから安心という雰囲気を一番醸し出している。
  実際、客だけでなく、安里さんの孫を三人で仲良く見ていたりする。
  そうだ、向かいのKさんがドバイへ行っていたときの売り上げは小書店よりはるかに良かった。
  あの時ほど、Kさんに褒められたことなかったな、、、
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2016©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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