2016827日 天気:曇りときどき晴れ

 

『ヤー・チャイカ』

 また停電だ。電気もテレビも消えた真っ暗な部屋を父が懐中電灯で照らす。大きな窓も夜の暗闇に覆われている。外の様子は見えないが、人々が遠くで話す声とガムランの音色が祭の気配を部屋まで運んで来て、父がどんどん高揚していくのが伝わってくる。どんどん大きくなるガムランの音にソワソワした父が部屋と外をせわしなく行き来する。
 
 泊まっているコテージは床の大きなタイルがひんやりと気持ちよく、天井も高くて心地よい建物だ。
 父の友人であるダナさんの新居は、まるで小さなホテルだった。五棟のコテージが中庭を囲み、一棟ずつに小さいけれど立派なテラスも付いている。朝は鳥の囀りで起きて、咲き誇る花々を眺めながら、バンブーのソファセットが配置されたテラスで朝食を食べた。
 コテージはそれぞれ、舞台にもなる主寝室、ダナさんの事務所、家族の寝室と台所、来客用と分かれていた。父もコテージの一棟分に出資したというが、建設中にあれよあれよとバリ島の物価が上がり、結局、軒下部分くらいにしかならなかったそうだ。
 それでも、ダナさんはわたしたちが訪れることを喜んでくれた。毎日、掃除だけじゃなくベッドメイキングまでしてくれる。朝食も奥さんがつくってくれた。おかゆにココナッツをすりおろして食べるのは苦手だったけど、ジュースや果物、甘辛く煮たチキン、野菜チャンプルーに似た食事はとても美味しかった。奥さんはとても料理上手なのだ。
 
 さて、今夜は父が楽しみにしていた祭の日だ。村の青年部のリーダーであるダナさんが父をアテンドして、夜中じゅう祭を見て回るはずだった。
 そんな(父にとって)大事な日であったというのに、わたしは夕方からお腹が痛かった。
 バリ島へ行くたび恒例行事のようにお腹を壊すから、小学生ながらに慣れっこというか、父がいてもいなくてもお腹は痛いんだ、、、という感じだった。
 しかし、父は違うみたいだ。父親として娘を放っておけない自分と祭が見たい自分の間で揺れ動いていた。部屋を出たり入ったりしながら、「お父さんはこの祭を見にバリ島に来たんだ」と言ったかと思えば、「お腹大丈夫ね?」と心配そうにしている。
「わたし、今は静かに寝ていたいから祭行ってきて。大丈夫だから」
 その言葉で吹っ切れたらしい。
「わかった。お父さんはちょっと行ってくるけど、何かあればダナさんの奥さんのところへ行きなさい。いや、奥さんのところで休んでいなさい」
 えっ? 結局、わたしは奥さんのコテージへ正露丸とミネラルウォーターと一緒に預けられることになった。
 電気が点いたタイミングで二つ隣のコテージを訪れた。彼女とわたしは、インドネシアのホームドラマを見ながら、アイコンタクトとジェスチャーを交えて会話を続けた。
 奥さんは、「アヤハー ンッ? ンッ?」と、お腹に手を当て、大きな目を細めてわたしに尋ねてくる。
「オーケー、オーケー」と答えるわたし。
 七、八分に一度くらい、こういう会話を続ける。
 すると、突然、電気が消えた。テレビもヒューッと消える。
 また、停電だ。
 暗くて何も見えない中で、奥さんは心配そうにわたしの名前を呼ぶ「アヤハー アヤハー」。
「はいー ナマサヤ アヤハー アパカバー?」(はい、わたしの名前はアヤハです。元気ですか?)
 二メートル先にいる彼女を安心させなければと、知っているバリ語で元気に返事をすると、ケラケラケラと笑い声が聞こえる。どうやら、安心してくれたみたいだ。
 そんなやり取りを何度繰り返しただろう。すっかり疲れたわたしは、いつの間にか眠ってしまった。
 
ヤー・チャイカ』は、父と娘の話だ。
 父は宇宙を漂う探査機に思いを馳せて、娘は恐竜を飼う夢想を続ける。
 父が出張先で知り合ったロシア人との出会いと別れを通して、娘はゆっくりと少女時代に別れを告げる。
 父が思う無人の探査機は冷たい暗い空間に浮かび、惑星と出会い、その重力で方向を変えて、また違う星へと向かう。
 父と娘の距離も少しずつ離れていく。健全な親子関係。
 
 カンナもあるいは探査機かもしれない。カンナはもう別の世界を飛行している。時おり、彼が知らない光景について報告を送ってくる。やがて、彼と娘の距離はどんどん増して、電磁波が届くのに数時間もかかるようになり、彼女がどんなに異様な風景を遠い惑星の上に見ても、それは彼には伝わらなくなる。彼女はその時、もう父親にではなくて星々の世界に所属するようになる。それでも、淋しくはないのだろう。そこには彼女を面白がらせるさまざまな現象があるだろう。いったいおれは何を考えているのか。ああ、宇宙は、人の世界は、あまりに広すぎる。なんだかおれはセンチメンタルになっている、と文彦は眠気に半ば領された頭で思った。―――『
ヤー・チャイカ』より
 
 子どもだったわたしにとって、別の世界を飛行しているのは父だった。
 日常生活ではほとんどふたりきりにはならないわたしたち。そんな父と旅に出るときは、別の世界を飛行する彼に必死でしがみついた。釜山の市場、ベトナムの路上、バリ島の夜。
 でも、この夜にわたしははじめて父とは別の夜を過ごそうと決めた。異国の夜、腹痛があったとはいえ、父についていくのをやめた。
 このバリ島の旅から父とふたりで旅に出ていないことに気づいた。
 わたしも父とは別の世界を飛行し始めたのだ。
 
 夜明けに父がわたしを迎えに来た。腹痛よりも異国の夜を不安に過ごしてやっと眠れたのに、再び起こされたことに腹が立った。わたしを起こすまいと、おんぶしようとした父の手をはじめて払いのけた。驚いた父を残して、わたしは部屋に戻った。
 もう、父の洋服の裾を必死に掴んでいた子どものわたしはいなくなっていた。

 
(宮里 綾羽)
 
ヤー・チャイカ
池澤夏樹著 1988年 中央公論社
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 栄町市場には「洋服のお直し」をしてくれるお店がいくつかある。
 洋裁店もあれば、「お直し」の看板を上げていない店もある。
 小書店の隣にある「Jかばん店」もそのひとつだ。
 かばんと帽子が並ぶ店内で、Jさんが今日も両手にダンベルを握りスクワットをしている。80歳を超えているとは思えないほど足腰が強く、頭脳明晰なJさん。わたしが見る限り、毎日規則正しく運動をして決まった時間に食事を摂っている。噂では、彼女は30年前から老けていないという。
 先週、購入したワンピースの裾が長過ぎて、地面に引きずりそうになっていた。裾を持ってあっちゃーあっちゃー(歩き回る)するわたしを見兼ねた市場の先輩が言った。「Jさんにお直しさせなさい」
 それから2時間後、裾上げされたワンピースが戻って来た。切って余った布はこれまた綺麗に縫製されてベルトになった。
 ミシン作業をしている間はずっと立ちっぱなしで仕事に集中しているJさん。
 仕事も彼女がずっと若くいられる秘訣の一つだ、きっと。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2016©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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