20161126日 天気:晴れのち曇り

 

『メランコリア』

 ファンッ!ファンファンッ!
 けたたましいクラクション音が鮮やかな街に響いては、喧噪の中に消えていく。
 久しぶりに訪れた香港の街は以前と変わらず多様な人種、雑音、けばけばしい看板に溢れていた。
 到着した日はホテルの近くで食事を済ませて部屋で休むと決めていたのに、賑やかさに惹かれて街に出てしまった。
 食堂で夕食を済ませてすぐ、行き先も見ずにトラムに飛び乗った。またこの場所に戻るだろう、というなんとも心許ない観測で。
 二階建ての路面電車「トラム」は香港島を東西に走る。街の真ん中を走るトラムは広告塔としての役割も大きいらしく、多彩な広告を纏ったトラムが街中を行き来する。コンパクトでカラフルな車体は遠くから見るとオモチャに思えて、自分がジオラマの中に飛び込んだみたいで心が弾んだ。
 湿度は少ないけれど十一月だというのに暑くて、街を少し歩いただけで汗をかいた。トラムの急な階段を登り二階の椅子に腰掛けると、汗がひいていくのがわかる。車内の窓がすべて開け放たれていて風が吹いてくるのだ。初夏のような爽やかな風。
 喧噪と極彩色で溢れる外界が目の前をどんどん流れていく。景色の派手さとは逆に、百年以上の歴史を持つトラムの内装は飴色の木枠と茶色の椅子で落ち着く。
 結局、トラムは同じ場所には戻らなかった。やがて街が終わり、郊外の入口でトラムを降りた。
 
その家々の屋根の向こうを
大きな船がゆっくりと進んでいく
マストとブリッジと煙突だけが動いていく
 
バスの中の私は知っている
アンナがあの船に乗っていることを
船がどこにも寄港せずにまっすぐインドに向かうことを
従って、私には船に乗る方法がないことを―――『メランコリア』より
 
 アンナという女性を探していつ終わるかわからない旅を続ける私。
 アンナを探して歩き、船に乗り、バスに乗り、人々に彼女の消息を尋ねる。彼女の残した手がかりを見つけては、またアンナを探す旅に出る。
 地球上のあらゆる都市を思わせるポップなコラージュが旅のシリアスな場面を滑稽で長閑なものにしている。そして、それが私とアンナの関係性を表している。最後は一緒になるとわかっているのに、いつまでも終わらない追いかけっこをするふたり。
 間の抜けた、切ない、真摯なふたり。
 
 わたしは何かを探す旅を、ましてや人を探す旅などしたことがない。
 逃げる者を追う旅。一見、かっこいいけれど根気のいる地味な作業だろうな。宛てのない旅を続けるよりも気力が必要な分、生きていることをより強く感じることができるだろう。
 トラムを降りて、香港島と九龍を結ぶフェリーに乗ってみた。窓がないから風がビュービューと吹きつけてくる。眩い夜景を眺めながら、ものすごい自由を感じた。行き先はわかっているのに、期待に胸が高鳴る。結局は、往復して香港島へ戻ってきたのだけど。
 船を降りるときに、ふと思った。アンナはなぜ逃げているのだろう?
 どこかに自分が運ばれる喜びを切り捨てることができないのではないか。その喜びから逃げられず、追いかけている。実はアンナだって追いかけているのかも。
 わたしが行き先もわからないままトラムに飛び乗ったのも、アンナみたいにどこかへ運ばれたい衝動に駆られたからだ。まだ、行ったことのない、知る人のいない場所へ運ばれたい。新しい人を見て、新しいものを食べて、新しい風に吹かれたい。
 もうこのへんで落ち着かなければいけないとわかっていながら、きっと、この香港でもアンナは生きている。
 トラムに飛び乗り、フェリーに揺られ、あの気持ちのいい風に吹かれながら。

 
(宮里 綾羽)
 
メランコリア
池澤夏樹・阿部真理子共著 1998年 光琳社出版
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 市場に座り始めて2年半が経つというのに、最近まで「はやと鮮魚店」で魚を買ったことがなかった。店長がよく利用しているので、新鮮な刺身を食べたことは何度もあったのだけど。
 きっかけは、「COFFEE potohoto」を営むご夫婦の家でカルパッチョを食べたことだった。新鮮な刺身にオリーブオイルとレモンと塩のみのシンプルな味付け。聞けば、「はやと鮮魚店」でカルパッチョ用の刺身を、とお願いしたのだそう。
「どんな料理をつくりたいか言えば、その料理に合った魚を選んでくれるよ」
 さっそく、手巻き寿司用の刺身を注文してみた。「2000円分でお願いします」と注文すると、「何人で食べるの?5人かぁ。それならば、1500円で充分だよ」
 市場の魚屋さんにはマグロを安く美味しく提供している店が多くて、市場の魚といえばマグロだと思い込んでいた。そういう店はマグロを大きく切って売っている。
 昔、この界隈には料亭が多く、魚をブロックで卸していたらしいのだ。その名残で刺身を切るのが苦手な方もいるのだとか。
 「はやと鮮魚店」の刺身は均一的に切られていて、とても美しい。
 マグロをどどーんと豪快に出してくれる店も大好きだけど、「はやと鮮魚店」のように繊細な店の存在も、また嬉しい。
  注文した刺身には活きのいい中トロ、まぐろ、サーモン、タコ、えび、カンパチが並ぶ。新鮮なのはもちろん、規則正しく並んだ刺身が美しい。あー、美味しかった。
 その次にお願いしたアクアパッツァ用の魚も美味しかった。この冬は魚の鍋が増えそうだ。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2016©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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