201799日 天気:曇り時々晴れ

 

『セーヌの川辺』

サー島別ぎりでうふぁられ(島分け(移住)を命令され)
 ヨースリ
ふん別ぎりでうふぁられ(組を離れて)
うばたがどぅけなり(私は一人になって)
 ヨースリ
野底に別ぎられ(野底村に移住を強制されてしまいました)
 
 将来を約束していた幼馴染の男女、カナムイとマーペが道切り(強制移住)により、その仲を引き裂かれてしまう悲劇の物語歌。
 1730年代から王府の財政窮乏対策として強行された八重山開拓(強制移住)。マラリアのない周辺離島の島民を強制的に石垣、西表島に移して新村を建てて米の増収をはかった。役人が道路を境界とし、「この道からこれだけは寄人だ」と宣言すると、いかに嘆願しても許されず、家族でさえ切り離されたという。
 道切りで黒島から石垣島西部の野底村へ強制移住させられたマーペは、愛しい男性、カナムイのいる黒島を見たいがために野底岳に登るが、於茂登岳にさえぎられ、望みは打ち砕かれる。失意の彼女は嘆き、悲しみのあまり、そのまま石と化した。
 無慈悲な強権の前に、抵抗する術を知らぬ民衆はマーペを石と化させることによって、悲しみを怒りに転化させたのだろうか。―――『琉球列島 島うた紀行〈第二集〉八重山諸島・宮古諸島』より
 
 悲しみを怒りに転化する、その一文が更に深い悲しみとなって心に響く。
 権力者によって生まれ島から突然、道切りを命じられ、人頭税やマラリア、津波が人々を襲った時代。愛しい人が住む生まれ島を見ることさえ叶わなかったマーペが苦しみ悶え、果ては石になってしまうとは。そこに込められた人々の想いは計り知れない。
 癒される間もなく次々と覆い被さってくる悲劇を人々はこの歌に託した。文献では残すことができない心情が今を生きるわたしにまで伝わってくる。
 
「つぃんだら節」について書きたいと思ったのは、「冬の到来、エッフェル塔、敗者の歴史」というエッセーを読んだからだ。
 フォンテーヌブローに暮らしながら日本と世界を考察したエッセー集『セーヌの川辺』に収められている。著者の冷静で熟考された視点がわたしたちを広い世界へと誘う。
 
 講演会やら朗読会など催しがいくつかあっての滞在。僅か六歳で出てしまった土地であるし、今はもう行き来する親戚がいるわけでもないのだが、それでも北海道はぼくにとって最も郷里という言葉に近いところである。
 そこで、自分の住む土地が異国化するという事態のことを考えた。むしろ疎外と呼んだ方がいいか。昔からずっと住んでいた土地に強力で敵対的な他者がやってきて、こちらを圧倒する。自分たちは本来の生きかたを奪われ、資産を奪われ、不本意な暮らしを強いられて、殺される。仲間たちがどんどん減ってゆく。そのまま残って滅びるか、他の土地を求めて難民となって逃れるか。そういう非常に辛い事態。―――『セーヌの川辺』より
 
 著者は、『静かな大地』で著者の一族とそこに関わるアイヌを描く際、「アイヌでないぼくにそれを書く資格はあるか?」と悩みながらも、どんな場合にも敗者の歴史は書かれるべきだと気づく。そうでなければ、世の中には勝者の世界観ばかりがまかり通ることになる、と。
 どの時代にも、どの国にも勝者がいれば敗者もいる。それはわたしかもしれないし、あなたかもしれない。物語の主役は一人ではない。歴史には色々な側面がある。それを知ろうとしないのは、大人としての責任の放棄ではないか。
 物語の背後には数え切れないほどの犠牲者の物語が埋もれていること、歴史の裏側には膨大な敗者の歴史が潜んでいることを歌は教えてくれる。
「歌は民衆の歴史。文献には権力者の視点だけ、虐げられた民の姿はない。歌にはその時の民衆の想いや苦しみが込められている」と母が言ったことがある。「つぃんだら節」もその一つだ。
 八重山に残された豊潤で美しい調べの背景には、とてつもない数の悲劇があった。
 敗者、犠牲者の想いが込められた歌をわたしはどれだけ自分の手に集めることができるだろう。民衆の想いを自分の中に溜めていくことは、わたしの財産になるはずだから。

(宮里 綾羽)
 
セーヌの川辺
池澤夏樹著 2008年 集英社
静かな大地
池澤夏樹著 2003年 朝日新聞社
琉球列島 島うた紀行〈第二集〉八重山諸島・宮古諸島
仲宗根幸市編著 1998年 琉球新報社
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 旧盆が終わった。旧盆前とウンケー(お迎え)の朝は肉屋の前には人だかりができる。ウークイ(お送り)の朝は餅屋の前から行列が続く。魚屋も八百屋も昆布屋や乾物屋も食べ物を扱う店はみな、活気づく。あ、花屋さんも大盛況だ。大晦日と並び、栄町市場が一年で一番の賑わいを見せる。
 こちらといえば(洋服屋、鞄屋、靴屋。もちろん、小書店も)、いつもと変わらず、客が増えるわけでもないのだけど。それでも、店の外の道を人々が忙しそうに行ったり来たりしているのを見ると、だんだん胸が高鳴ってくる。年に数日しかない市場が盛り上がる貴重な日。何か用があるわけでもないのに、つい市場の中をあっちゃーあっちゃー(散策)してしまう。
 そして、ウークイの翌日。あの賑わいが幻だったのかと思うほど市場は静まり返った。食べ物を扱う店がすべて閉まったのだ。
 どのスージグヮー(小路)を歩いてもシャッターばかりが続く。歩いているのはわたしと猫くらい。
 旧盆前から忙しく立ち働いていたみんなの遅れてきた盆休み。みなさん、ゆっくり休んでください、と思いながらも寂しいなぁ。
 何より、お昼ごはんを買えなくて本当に困った。ひもじいよぉ。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2017©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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