2018217日 天気:曇りのち晴れ

 

『アステロイド観測隊』

 昼間はぐったりするほど暑かったのに、夜になると気持ちのいい風が吹きはじめた。色鮮やかなレーザー光が影絵をつくり出しては消えてゆく。水を噴射してつくった霧のスクリーンに次々と映し出される物語。音楽に合わせて水があちらこちらでダイナミックに踊る。まるで生きているようにリズミカルに動くものだから、いつの間にか夢中になって目で追いかけた。人工的で退屈なショーだろうと期待せずにいたけど、結構面白いのだ、これが。
 この水辺のプロジェクションマッピングを観るために、人々が行儀よく並んで座る。その間を縫うように子どもたちが駆けていく。ショーの背景はライトアップされたビル群と優雅に行き来する遊覧船。こちら側には少し前に話題になったホテルと巨大なショッピングセンター、完成したばかりの美術館がそびえ立つ。どの建物もユニークで複雑な造り。
 夜景を見た帰り道、輝く夜景に包まれながらみんなで大きな歩道をプラプラと散歩した。途中、ライトアップされたヤシの木々に目を奪われているわたしたちの脇をヒューっと若者が漂流するように追い抜いていく。向こうからはスイスイと宙に浮く中年の女性がやって来る。彼らが浮遊しているように見えるのは、乗っているキックボードやスケードボードが電動だから。国際都市をエレガントに漂う人たちがわたしには未来人に見えて、一瞬、その軽やかさに憧れた。難儀な物を一つも抱えていない身軽な人間たちのように見えたから。
 シンガポールに来たのは30年ぶりで当時の記憶もないから、はじめて訪れた国のように新鮮だった。旅のメンバーは、母、伯母、妹、従姉妹たち。母は三姉妹の末っ子。姉妹は仲が良くて、わたしが4歳まで全員同じマンションに住んでいた。
 伯母は若い頃から病弱で、今でも旅先には清潔で日本語が通じる病院がないと安心できない。だから、現地在住の日本人の間で評判のいい病院があって、沖縄から直行便もあるシンガポールは伯母との旅にぴったりだった。
 寒い沖縄から暖かい国へ来れただけでも嬉しかったのに、美味しいものを食べて、散歩をしながらお喋りをして、ホテルの部屋でお腹がよじれるほど笑えたことが楽しかった。たまに誰かがムッとしたら、それを他の誰かがなだめたり。
 子どものときは一緒にいることが当たり前だった人たちと、大人になってからもう一度、一日中くっついていられることがどれだけ幸福なことか、旅を終えてから気がついた。
 
 翌日は静かだった。私はビールではなくワインの一壜を前にして、ミス・サヴィアと人生のさまざまな局面についてゆっくりと話し合った。その詳細は、きみたちももう大学院生なのだから推測したまえ。うまく推測ができない者は実人生体験が不足していると考えて、今までの生き方を改めた方がいい。今日の講義で私が伝えたいのもそこのところなのだから。社会から、人間から、遊離した科学は意味を失う。
 その次の夜も、また次の夜も、ミス・サヴィアは来てくれた。楽しい夕べは続いたが、その一方で、私の釈放の話は遅々として進まなかった。―――『
アステロイド観測隊』より
 
アステロイド観測隊』の冒頭。惑星気象学の講義で助教授が語りだしたのは、二十年前の南の島での出来事。
 助教授の師であった天文学者は小惑星Xには大気があるか、あるいは火山活動のようなものがあるかもしれないと考えた。それを確かめるために、小惑星そのものではなく、火山ガスのようなものだけが太陽光に照らされて光るところを観測しようと小さな観測隊をつくり、西太平洋の島へやって来た。その一員が若かりし頃の助教授なのだ。
 しかし、小惑星の様子を観測するのに島の大統領府の噴水照明が邪魔をする。噴水の照明を消してもらうために、島の科学会議のメンバーで観測のコーディネーターを努めるザヴィアという若い女性や他の仲間たちと官僚や大統領と掛け合い奔走するが、結局、噴水の明かりを消してもらうことはできなかった。そこで、助教授はライトアップを消すために大胆な行動に出るのだった。
 助教授の大胆な行動は天文学に一定の成果をもたらしただけでなく、ミス・サヴィアと人生についてゆっくりと話し合った結果、彼は自身の人生と科学者としての定義も得る。「社会から、人間から、遊離した科学は意味を失う」
 
 裕福で国際色豊かな未来都市の建物は斬新でゴージャスで眩かった。外に出れば緑が溢れ、近代的なビル群とミックスされた様子が豊かな印象を与える。人々は完璧に統制されていると聞くけれど、誰もがリラックスしているように見えた。
 経済、文化、人材の恩恵を受けて発展した最先端の国は、自らを誇っているように見えた。
 でも、旅を終えて一番に思い出すのは、夜景でもプロジェクションマッピングでも美しい街並でもない。笑い転げるいとこたちだったり、ホテルでくつろぐ母と伯母だったり、ガイドブックを熱心に読む妹だったりする。
 シンガポールはとても気に入った。でも、今回の旅先はどこでもよかったのかもしれない。このメンバーだったことが大事だった。
 今は別々になってしまった日常から離れ、昔のようにお互いの感情がぐっと近くなる時間を過ごせたこと、お互いの存在がいかに大切かを確認できたことがこの旅の意味だった。
 助教授たちのように大義のある旅をしたわけではないけれど、助教授のように人生の定義は定まった気がする。そういう旅ははじめてだった。

 
(宮里 綾羽)
 
アステロイド観測隊
池澤夏樹著 1995年 文藝春秋
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 栄町市場には、昔あった料亭のなごりで美容室がたくさんある。8軒くらい。
 昔は出勤前の仲居さんや踊り子さんが美容室で毎日、髪をセットしていたそうだ。
 美容室のひとつ、「スパジオ」のやえさんは評判の美容師だ。人気店だからか、なかなかカットとパーマの予約が取れないとか。
 総菜屋ときちゃんのときさんの証言。
「後ろのあたりがいいでしょう?わたしはパーマとカット。やえちゃんに全部お任せしている。わたしは彼女のハサミ使いに惚れているわけよー」
 金城商店の金城さんの証言。
「最初は雑誌の切り抜きを持って行って、こうしたいって言ったわけ。でも、顔と一緒で、人はそれぞれ髪の質も流れも違うって言われてさぁ。やえちゃんがあんなやって言うから、自分の希望だけは言ったわけ。洗いざらしでオーケー、ボリュームがあるようにお願いしている。あとはお任せ。でもさぁ、同じムースを付けてもやえちゃんの手は魔法の手だねぇ。全然違うのよー、仕上がりが」
 謝花鞄店の謝花さんの証言。
「みんながいいと言うよ」
 
 金城さんの話では、謝花さんの髪型がカッコいいということで「スパジオ」に通い始めた人も多いそうだ。
 髪を切った直後は、みんなほんとうにかっこいい。最近髪を切った謝花さん。とっても素敵ですねー。
「そう、やえちゃんはみんなを美人にしてくれる」
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
『本日の栄町市場と、旅する小書店』(ボーダーインク)。
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2018©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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