2017722日 天気:晴れ

 

『むくどり通信』

「この携帯、なんだか怪しいよね」
「泥棒が落としていったとか?」
 世界で発売されたばかりの最新バージョンのiPhoneを前に妹と物騒な想像をしていた。
 事の起こりは、この最新の携帯電話が玄関外の椅子に置かれているのを母が見つけたことだった。電話が鳴っても取り方がわからず、表示される文字はどうやら中国語みたいだ。明日警察に届けることにして、家でひと晩保管することになった。
 翌朝、遅く起きたわたしに母が言った。
「今ね、携帯を落とした子たちが取りに来たのよー。台湾の若い子たちだったよ。男の子2人、女の子2人。ニコニコしてからかわいかったさー。昨日、ここらへんを歩いていたら家の前に猫がいたんだって。携帯で猫を撮ったあとに忘れていったらしいのよね。ね?多分、そんな風に言っていたよね?」
 と、母が父に同意を促す。そうそう、そんな感じだったはず。
 その日の夕方に母が出先から戻ってくると、今度は玄関の扉の前に小さな箱と手紙が置かれていた。箱の中にはマンゴーとリンゴ、キウイフルーツ、グレープフルーツが1個ずつ。
 携帯電話を忘れた台湾の彼らがお礼に果物を持ってきたのだった。絵本に出てくるお話のように誠実でかわいらしい。4人で相談しながら市場で果物を選んだのだろうか?その姿を想像すると、まだ会ったことはない彼らと仲良くなれそうだと思った。
 
 終戦後と呼ばれる時代に子供だった者には、海を越えてくる果物をそれだけで尊敬するという癖がある。もちろん最初はバナナだ。台湾から船で来たバナナはとても高くて、貴重で、うまかった。リンゴやミカンとは格が違う。それに、バナナという食品はパッケージまで完璧である。ナイフなしで剥けて、一口ずつ食べられて、しかも最後まで手が汚れない。あれを考案したデザイナーは本当に偉いと思った。
 その後、バナナ以外にも海を越える果物は増えた。昔、ギリシャに住んでいた時、たまたまナフプリオンという港町で、大きな貨物船にオレンジを積み込んでいるのを見た。この町の背後には広大なオレンジ畑が広がっていて、その産物の味はよく知っていた。ぼくはその船の船員に、どこへ運ぶのかと聞いてみた―「アラビア」。聞いた途端、白い長いひらひらの服を着たアラブの男たちが沙漠にずらりと並んで坐り、それぞれ手に一つずつのオレンジを持って、おいしそうに食べている図が頭に浮かんだ。アラビアにオレンジを運ぶのは手応えのあるいい仕事だと思った。―――『むくどり通信』より
 
むくどり通信』の50篇のエッセイには本や町、旅先で出会う好奇心が詰まっている。その好奇心は、近所のスーパーでなにげなく買ったグレープフルーツにまで及ぶ。黄色い厚い皮に貼られた産地を示すシール。そのシールにさえ、著者は好奇心の翼を広げてバタバタと飛んでいく。1個の果物を前にその旅路を想像し、異国の男たちが沙漠で果物をおいしそうに食べる姿に思いを馳せる。その時間はとても贅沢で豊かだ。こちらまでアラビアの果物にうっとりしてくる。
 
 携帯事件(?)の翌週、偶然、家族で台北へ旅行する予定があった。必ず連絡するようにと手紙に記された彼らにメールをしてみる。
 到着した夜にさっそくホテルまで迎えに来てくれて、小さな市場と地元のレストランへ案内してくれた。地元の人しか来ない雑踏に紛れている小さな店。丸い大きな円卓を囲んでわたしたちは絶え間なく話し、食べて、笑い合った。今でもその夜の写真を見ると大家族の写真みたいで可笑しい。
 マイケルは英語が得意。小柄で笑った顔がとてもかわいい。
 ヘンリーは体が大きくてバスケットが好きで、低くていい声をしている。
 ジェシカは彫りの深い顔立ちの美人でおしゃべりが大好き。
 茶々は日本語が堪能で照れ屋、色白の綺麗な女の子。
 台湾の若い人も香港人と同じように自分で愛称を考えて名乗っているそうだ。みんなよく笑って、人懐っこい。
 翌年、ヘンリーが恋人と沖縄へ来たので、わたしたちはふたりをメキシコレストランへ招待した。その次は、再びわたしたちが台北へ行った。みんな恋人を同伴することが多くなり、不定期で楽しい食事会のメンバーは増えていった。
 最近は、マイケルが両親と妹を連れて沖縄へ来た。みんなで美しい庭のあるカフェへ行き、また大きなテーブルを囲んでたくさん話して、笑い合った。
 母とマイケルのお母さんは互いの孫のことをジェスチャーを交えて話す。父とマイケルのお父さんはどこか似ていて、言葉は通じ合わないが気が合ったみたいだ。
 話のスタートは毎回同じ。マイケルが忘れた携帯電話とお礼の果物。何度も話したはずなのに、面白い出会いだよねーと笑い合って、感心し合う。
 母曰く、この不思議で楽しい出会いを結びつけたのは携帯電話ではなく、果物だそうだ。
「わざわざお礼の果物を持ってきてくれて律儀な子たちだなぁと思ったの。小さな段ボール箱を開けたら、果物が1個ずつちょこんとちょこんと並んでいる。その姿がとても微笑ましかった。普通は同じ果物を何個か買って見た目を良くするっていうか、整えるじゃない?でも1個ずつっていうのが素朴で見栄を張ってないというか、いい子たちだなぁと思ったのよね。もしかしたら嫌いな果物があるかもしれないから何種類か選んだのかもしれないよね。とても愛らしいじゃない」
 
 果物1個で異国を旅したような気持ちになったり、人となりがわかったり、出会いが繋がったり。目を凝らせば、わたしたちの生活はもっと愉快で豊かになるのだと嬉しくなってくる。
 栄町市場にも美味しい果物がたくさんあるから、今日は店番のあとに買って帰ることにする。きっと異国からはるばるやって来た果物に出会えるはずだから。

 
(宮里 綾羽)
 
むくどり通信
池澤夏樹著 1994年 朝日新聞社
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

「拓水」は事業家だ。市場の南口に鮮魚店を構え、その隣には最近オープンした食堂が併設されている。食堂は魚屋の隣にあるのだから、新鮮で美味しい食事ができるのは間違いない。
 創業は12年前くらいではないですかねー、とおばさんが言う。元々は栄町市場の他の鮮魚店で働いていたおじさんが、独立して南口に「拓水」を始めたのだそう。
 夕方の早い時間から飲み始めるお客さんは、向いの餃子屋さんでお酒を頼み、「拓水」で刺身を買う。これから始まる夜に備えてゆっくり刺身をつまむ姿はいつも幸せそう。そして、美味しそう。
 もうひとつ、東口の通りにも「拓水」の支店のてんぷら専門店がある。魚やイカが人気みたいだ。魚介類だけでなく野菜のかき揚げや芋てんぷら、豆てんぷらも並ぶ。わたしはイカてんぷらと豆てんぷらが好き。食べ始めると止まらない。
 今日も南口にはいつものお客さんがお酒を飲み、向かい合うように「拓水」のおばさんが店の前に座っている。
「拓水」の前を通り過ぎるたびに、「刺身、食べていけば~」とお客さんが声を掛けてくれる。おばさんは椅子に座ったまま頷く。いつもの光景。すごく好きな毎日の光景だ。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2017©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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