< 作品一覧へ

[jpshare]

小説

真昼のプリニウス

中公文庫

著者:池澤夏樹

私はここまで来た。この山に、この身に、この心に、何が起こるかを見に来た——。浅間山頂の景観のなかに、待望のその時は近づきつつある。古代ローマの博物学者プリニウスのように、噴火で生命を失うことがあるとしても、世界の存在そのものを見極めるために火口に佇む女性火山学者。誠実に世界と向きあう人間の意識の変容を追って、新しい小説の可能性を示す名作。

この作品のレビュー

主人公は、火山学者・頼子。彼女は、学者として常にデータを通して火山と対峙してきたことに、一抹の疑念を持ち始める。広告屋・門田との出会い、遠く離れた地にいる恋人からの手紙、天明の大噴火について手記を残したハツとの対話など印象深いプロットが重ねられるにつれ、その疑念は大きく膨れていく。ともすれば学者としてのアイデンティティを揺るがしかねないにも関わらず、頼子は逃げることなく、誠実に向き合っていく。

その頼子が自身の感情を吐露する場面で、こう語る。
「わたしという人間は、そういう人間の性質、物語の目を通してしか自然を見ようとしない臆病さ、外の世界に背を向け、物語で構築した砦の中に入って互いの肌を暖めあっているだけの人間のふがいなさを、なぜか腹立たしく思っているのです。」

人間が何かを伝える時、言葉を使う。言葉を使った瞬間、その伝えたかったものは言葉の中に押しとどめられ、本来の姿から遠ざかってしまう。神話から始まり現代の科学にいたるまで、人間は自然への畏怖を言葉の中に押し込めてきた。

この小説は20年ほど前に書かれた作品にも関わらず、根底に流れるテーマは、全く色あせていない。むしろ情報科学が発達した今だからこそ、私たちの胸に突き刺さる内容になっているかもしれない。SNSには感動を覚えた景色や気持ちなど言葉や写真で溢れきっているが、それらは全て人の手によって矮小化されたものに過ぎず、現実感が薄まっていくような違和感を覚えることがある。そして、今も地震や噴火、洪水など、圧倒的な自然の力は抗うことの出来ない脅威であるという現実は、神話の時代から何一つ変わっていない。これから私たちはどのように世界と対峙していけばよいのだろう。

ともすれば重苦しくなるようなことを問いかけているのにも関わらず、あくまで語り口は優しい。物語としては劇的なことが起こるわけでもなく、美しい文章により綴られている。けれども心地よく読み進めていく内に、いつの間にか思考の淵へと連れていかれるのだ。

 続きを読む

酒折有美子さん

impala e-books 1周年記念レビューコンテスト・「インパラのように軽やかなレビュー賞」

この作品のレビューを投稿しませんか?

cafe impala では、読者のみなさんのレビューを募集しています!

レビュー投稿ガイドライン

* が付いている欄は必須項目となりますので、必ずご記入をお願いします。

レビューを表示したい「作品」を選択してください。 ここでの関連付けを行うと、レビューが公開されます。(ステータス「承認」では公開されません。)

    入賞

    受賞した賞の名称を1つづつ入力します。

    1

     レビュー投稿フォームを開く

    作品情報

    出版社:
    中央公論社、後に中央公論新社
    出版年月:
    1993/10


    あとがき などコンテンツの違いのある部分 :


    解説(日野啓三)