2017114日 天気:曇り

 

『静かな大地』

 約二十年ぶりに訪れた北海道は見渡す限り雪だった。歩道の端に除雪された雪は胸の高さまである。気を抜くと滑りそうになるから、靴底の凹凸をしっかりと地面に踏みつけて歩く。誤って雪の塊がブーツの隙間に入り、つま先から冷えが身体中に広がって歯がガタガタと震えた。馴れない寒さに、台湾よりも香港よりもずっと異国を感じる。途方もなく広く、美しく、厳しい土地。
 北海道で読んでみたいと思っていた『静かな大地』を列車の移動中に読む。ふと顔を上げて窓の外を見ると本の中の風景と繋がるのだから、それは贅沢な時間だった。
 
 淡路島から北海道の静内へ入植した幼い兄弟、宗形三郎と志郎。ふたりは静内に到着する直前に出会ったアイヌの少年、オシアンクルと生涯の友となる。
 宗形兄弟とアイヌの繁栄と凋落の物語は、江戸、明治、大正、昭和という長い時間を掛けて語り継がれる。
 幼い三郎や志郎が夢中になったアイヌの昔話、アイヌの人々と力を合わせて開いた牧場。そこを走る美しい馬たち。幾多の困難をくぐり抜ける様は爽快であるし、三郎や志郎の恋には心が華やいだ。聡明で行動力のある三郎は誰の目から見ても魅力的で、その兄を尊敬し支える志郎の物腰や紳士的な立ち居振る舞いに夢中になり、彼らやその家族の幸せが続くようにと願いながら読み進めた。叶わなかったけれど。
 入植した和人は、鹿が金になるとわかれば鉄砲を持っておしかけ、山から鹿を奪い尽くす。鮭が金になるとわかれば、翌年のことを考えずに鮭を根こそぎ獲っていく。かつてアイヌが住んでいた土地は和人のものとなり、アイヌは蔑まれ陵辱され、奪われ、生き残ることが困難になる。アイヌの精神が豊かで、暮らしが謙虚な分、和人の傍若無人さに心が砕けてしまいそうだった。
 わたしはどちらなのだろう。アイヌなのか、和人なのか。どちらでもないのか。
 
 アイヌと組んだ牧場で大きな成功を収めていた三郎たちの利益を搾取しようとする者や、人々の妬みが次第に彼らを追い込んでいく。
 突然やって来た税務署の調査隊から逃した馬を山に迎えにいった三郎は、山に住む熊の神、キムンカイに出会う。
 
 アイヌは己の非力をよく知っていた。世が変わり、和人が大挙してやってくる。アイヌはそれまで以上に押しまくられ、押し込められ、飲む水、胸に吸う息まで奪われることになるのではないかとわしら神々は恐れた。
 アイヌを知る和人がいたら、ことの流れは少しは変わりはしないか、と言った神がいた。
 かつて、松浦武四郎という知者がいた。蝦夷の地をくまなく歩き回り、アイヌの暮らしの苦しさ、和人のふるまいの理不尽を見て、アイヌと共に嘆いた。晩年は北海道に渡ることなく東京で亡くなったが、松浦が吐いた義憤の言葉、書かれた指弾の文は和人の施策を少なからず変えた。
 同じことを望むわけではない。和人の力は松前藩の頃の何百倍にもなっている。場所請負の悪辣な差配一人がアイヌのメノコに悪さをするのではない。一つの藩がアイヌを搾るのではない。日本という国を成す和人の総体がアイヌを消そうとしている。―――静かな大地』より
 
 アイヌ民族を滅ぼすほど奪い尽くす和人がいる一方で、善良な人たちもいた。
 高橋夫妻は、アイヌの娘エカリアンとの結婚を反対する三郎の母親を納得させるために、エカリアンを養女とした。彼らは、やがて三郎とエカリアンの双子の娘たちを養女に貰いたいと言った。故郷の宮古へ一緒に連れて帰りたいと。
 
 志郎さんや、悪いことは言わんから、アイヌと縁を切りなされ。遠別は放っておいて、下方だけでやりなされ。
 わしがアイヌを嫌っているのではない。そんな気持ちがないからこそアイヌ育ちのエカリアンを養女にした。雪乃という名も付けた。栄える遠別を賛嘆の思いで見ていても、あれを三郎一人の手柄とは考えていなかった。あのシトナという男やその他のアイヌの働きがあったからこそ宗形牧場であった。それはわしらにもよくわかっている。
 だがな、今の世の中はアイヌにとってきつすぎるわ。この十年でもアイヌの暮らしはどんどん悪くなった。それは三石にいてもわかる。御一新このかた、何十万という和人が北海道に押し寄せてきた。これからもますます増えるだろう。アイヌはいよいよ肩身の狭い思いをしながら暮らしてゆく。昔のような元気なアイヌに会うことはもうなくなった。
 だからな、わしらは加根子と久仁子をアイヌとはまるで無縁な土地で育ててやりたいのよ。下方では、たとえ志郎さんの家で育っても、あれは本当はアイヌの子と虐められる。三郎さんの評判はよくも悪くも高い。当人がもういないのだからこれからは言いたい放題だ。
 三郎さんをあそこまで追い詰めた力が幼い二人に向かうことはむごいことだ。あの子たちを静内から遠い土地で育てたいとわしらは思うのだが、一つ考えてみてはくださらんか。―――静かな大地』より
 
 高橋夫妻だけではない。馬喰の中村仁作や砂金堀りの男もいた。由良の夫も。この地ではアイヌが先達、と小さい声で言った人も。
 アイヌを苦しめず、敬意を払う人々もいたのだ。わたしは、その良心のある市井の人になりたい。奪われるのも奪うのも嫌だ。人の物を奪わず、妬まず、声を荒げず、謙虚に生きる人。でも、それだって奪われない場所から望む卑怯な言葉だ。偽善者。三郎の伝記をかいた志郎の娘、由良の言葉が胸を突き刺す。
「滅びゆく民、という言葉がわたしは嫌いだ。まるで放っておいたら滅びたかのような言いかた。滅ぼす者がいるから滅びるのではないか。それを人ごとのように高みから見て、同情のそぶりだけを示す。自分の手や口のまわりが血にまみれていることには気づきもしない」
 
 列車の窓から見える広い雪原の向こうから三郎や志郎、オシアンクルが馬に跨がり走ってくる。いつか、この物語を子供たちに語り継ぐと彼らに誓った。この物語の力が子供たちを、三郎や志郎やオシアンクルのような気高い人間に近づけてくれると信じるから。


 
(宮里 綾羽)
 
静かな大地
池澤夏樹著 2003年 朝日新聞社
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 金曜日の店番の楽しみは、なんと言ってもクッキーだ。特にお気に入りは、ハート型のチョコクッキー。よく売り切れているから、わたしの他にもファンがいるのだろう。そんなときは、次の金曜日まで気長に待たなければいけない。
「手づくり工房フェニックス」は、異なる障がい者施設が日替わりで手作りの物を売る店だ。だから、クッキーも週に一度。パンを売っている日もあるし、野菜や総菜を売っている日もある。
 クッキーの原材料を見てみる。小麦粉、砂糖、卵、マーガリンのみ。添加物も保存料も使っていない。子供のおやつや手土産に最適だなーと思いつつも、優しい甘さが癖になり、あっという間に一人で食べてしまう。
「いつもありがとうございます!」とか、「チョコクッキーですね」と言われると、顔を覚えてくれているんだと照れくさい。
 昨日の金曜日ももちろん、チョコクッキーを買いにいった。わたしの顔を見るなり、「今日はもうチョコクッキー売り切れました!」
 顔を覚えてくれているのは嬉しいけど、ガチマヤー(食いしん坊)みたいで恥ずかしい、、、また来週まで楽しみに待つことにする。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
Share
Tweet
+1
Forward
宮里小書店Twitter

配信の解除、アドレス変更

cafe@impala.co.jp

※アドレス変更の場合は現在のアドレスを一度解除して頂いた後、
新しいアドレスでの再登録をお願い致します。

ご意見・お問い合わせ
cafe@impala.co.jp

当メールマガジン全体の内容の変更がない限り、転送は自由です。

転載については許可が必要です。

発行:株式会社 i x t a n
   〒150-0001東京都渋谷区神宮前4-18-6岩動ビル3F

2017©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






This email was sent to *|EMAIL|*
why did I get this?    unsubscribe from this list    update subscription preferences
*|LIST:ADDRESSLINE|*

*|REWARDS|*