2017211日 天気:曇り

 

『贈り物』

 大学を卒業して働き始めた映画会社のオフィスは高層ホテルのワンフロアにあって、8台あるエレベーターがいつもせわしなく上下に動いていた。毎朝、テイクアウトしたコーヒーを片手に広いロビーを闊歩する人たち。その中に混じって出勤することがわたしには苦痛だった。
 朝も夜もないような職場で一番下っ端のわたしは、会社を辞めるまで一つの仕事を終わらせたという感覚を一度も味わったことがなかった。それは、次から次へと来る仕事のせいでもあったし、もとから要領がよくない上に寝不足の日々で頭が鈍っていたせいでもあった。終わらない仕事を取りこぼしながら、上司や先輩に迷惑を掛けながら、それでも、どうにか毎日をこなしていた。
 職場には映画のPR取材のためにテレビでよく見る俳優や監督がいて、日々は試写会や記者会見やパーティーに挟まれ、賑やかで華やかな時間がわたし以外を取り囲んでいた。映画が好きで憧れていたはずなのに、いつの間にか映画を見る時間も減っていた。いつになってもこの場所を好きになれる気がしなくて、馴染めない自分がいた。
 大きな映画祭があった日。舞台挨拶の俳優たちに観客もマスコミも驚くほど熱狂していた。上司や先輩も熱狂の渦の中心にいることを喜び、熱気はまた増していく。異様な興奮を目の当たりにするほど自分の心には虚しさが広がっていった。上司の忘れ物を取りにいくように命じられたタクシーの中で、涙が溢れてきた。
 
「この後はパーティーだね。俳優や監督と写真撮ってもらうといいよ」
「仕事はもう終わり!このパーティーは楽しんでいいよ」
パーティー会場のある階でそう言われたわたしは、上司や先輩の後ろをついていくのをやめた。仕事が終わりならば、もう帰ってもいいのだろうとひとりだけエレベーターから降りずに、出口のある階のボタンを押した。パーティーへ胸を躍らせる彼らは、いなくなったわたしに気がつかなかった。
 
贈り物』という物語。このところ自分の無力を思い知るようなことが重なっている男。気が進まないパーティーに参加したものの雰囲気に溶け込めず来たことを後悔しているところで、ひとりの外国人女性と出会う。日本に来たばかりの彼女は、勝手が違う異国の生活が辛かったと初対面の彼に話し始める。英語を話す人も少なくて、電車の乗り方もわからず、誰も教えてくれる人もいない。孤独。
 しかし、クリスマスが近くなったある日、彼女は不思議な光景に出会い元気を取り戻して気持ちを持ち直したのだと言った。
 
 彼は若い女が一人で異国の都会にいて、だんだん心を閉ざしてゆく感じがよくわかった。話を聞いてやって手を貸すのはたやすいが、本人にすればこんな風に人に話せるようになるまでが大変だっただろう。
「それで?」
「それでね、とても不思議なものを見て、わたしは救われたの」そう言って、彼女はにっこりと笑った。「その一瞬だけですっかり元気が出て、自信がついて、もう何があっても大丈夫、日本でしっかり勉強して帰れると思ったんです」―――『贈り物』より
 
 映画祭の会場から外へ出ると、驚くほど美しい世界があった。息をのむほど眩い光の世界。美しい青の光がどこまでも続いていくようで、自分が興奮していることがわかった。数時間前にも見ていたはずの景色なのに、わたしを取り巻く世界の色が変わった。モノクロームから色の溢れる世界へ。
 興奮した頭がどんどん冴えてきて、心がゆっくり自由になっていく。華やかなパーティーに参加するよりも、ひとりで外を歩くことのほうが最高に思えて両手を広げてスキップしたくなった。
 しばらくして、仕事を辞めた。友人たちは辞めるなんてもったいないと言ったし、自分でも本当に正しい選択だったのかわからなくて後悔したこともあった。もし、続けていたらと想像したことも。
 でも、『贈り物』の最後の一文を読み、やっぱり、わたしの決断は正しかったのだと改めて思えた。美しい風景を見ても美しいと思えず、清々しい風に当たることを忘れていたわたしは、心のバランスが取れていなかったのだから。
 
 彼は自分の方も額のあたりにかかっていた厚い雲が吹き払われた気持ちになった。ひさしぶりに穴の外へ出て涼しい風にあたっているようだった。その快感を味わいながら、彼はいつまでも相手の顔を見ていた。―――『贈り物』より

 
 
(宮里 綾羽)
 
贈り物
池澤夏樹著 1995年 文藝春秋
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

「今年は暖かいねぇ」と市場のみんなと話していた先月までが懐かしい。2月に入ってどんどん寒くなり、今日なんて昼なのに12度だとか!店にくるお客さんは「寒い!」と入ってくるし、市場を歩けば「寒いねー」が挨拶代わりになっている。
 正面の大きな入口から容赦無く風が入ってくる小書店で電気毛布にくるまりながら店番をする姿はさぞ滑稽だろうなぁ。
 年末に同じ通りの池原化粧品店が閉店してからも池原さんは週に何度か片付けのために市場へやってくる。逆に言えば、シャッターが閉まっている日が増えてしまったということ。
 おまけに、隣の隣の與那嶺靴店のお父さんも風邪をひいていたらしく、しばらくお休みが続いた。閉まっているシャッターが続く通りは物悲しくて、風が通り抜ける度にシャッターがガタガタと小さくて細かい音をたて、余計に寂しい気持ちにさせる。
 そんな寂しい日が続いたある日、池原化粧品店も與那嶺靴店も元気にシャッターを開けている。太陽の光も破れたアーケードから差し込んできて、通りが明るく華やいでいる。みんなの店が開いているだけでこんなに嬉しいなんて。こういう日が長く続いてほしいと言ったら、「そしたら、あやちゃんも簡単に休まないことよ!」と、みんなに笑われる。本当に、その通り。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
Share
Tweet
+1
Forward
宮里小書店Twitter

配信の解除、アドレス変更

cafe@impala.co.jp

※アドレス変更の場合は現在のアドレスを一度解除して頂いた後、
新しいアドレスでの再登録をお願い致します。

ご意見・お問い合わせ
cafe@impala.co.jp

当メールマガジン全体の内容の変更がない限り、転送は自由です。

転載については許可が必要です。

発行:株式会社 i x t a n
   〒150-0001東京都渋谷区神宮前4-18-6岩動ビル3F

2017©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






This email was sent to *|EMAIL|*
why did I get this?    unsubscribe from this list    update subscription preferences
*|LIST:ADDRESSLINE|*

*|REWARDS|*