2017128日 天気:晴れときどき曇り

 

『海図と航海日誌』

「本は経験を超えられないでしょ?世界へ旅に出て、見て、聞いて、人に会って。そういう経験にかなうものなどないよ。本の中の物語はあなたの経験じゃない」
 会話の中にふと出てきた友人の言葉に衝撃を受けた。そのようなことを考えたことがなかったし、うまく反論できる言葉も持ち合わせていなかった自分が情けなくなる。
 友人は、最近知り合った外国人のアイデンティティを少しでも知ることができるような本を貸してほしいと言った。その会話の中で出た言葉が、本は経験ではないというものだった。本を読むよりも、世界中の人と友達になるほうが立派な経験だということなのだろう。
 本当にそうだろうか?本はわたしの経験にならないのか。
 
 母は図書館司書だったし家には父の本が溢れていたけれど、両親から本を読みなさいとは言われなかった。読み始めたのは学校を頻繁にサボって手持ち無沙汰だった中学生のときから。そのころから、気に入った本は何十回も繰り返し読む癖があった。その癖のおかげで一冊に対する理解はとても深かった。他の作者に目がいかないという難点はあったけど。
 一冊の世界が現実と境がなくなるほど自分の生活に横たわっていた。その日々を思い出すと、本がわたしの一部をつくってきたとはっきり言える。
 大人になっても好きな本を繰り返し読む癖は抜けていないが、新しい本も積極的に読むようにもなった。父と母に薦められる本が多くて、実際とても面白かった。
 いつものように両親に薦められて読んだ米原万里の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』。その世界にどっぷりと引き込まれて、彼女が書いたエッセイを読破した後、一冊しか発表されなかった小説『オリガ・モリソヴナの反語法』を読んだ。動乱の時代を強かに生き抜いたオリガの人生に魂が揺さぶられるようだった。素晴らしい小説と出会ったのだ。
 会社と居心地のいい実家を往復する毎日。ぬくぬくとした実家暮らしなのに、いつも不安だった。どこを向いて生きればいいのかわからない日々。でも、この本に出会って自分の中に微かな情熱が芽生えていった。何十回も読んで本がボロボロになったころ、わたしは海外へ行こうと決めた。やりたいことがまだわからなくて、でも、この生活から離れたいと思った。
 まずは、隣の国の韓国へ行ってみよう。その頃、仲良くなった友人ヌンヘが「うちに住めばいいよ」と言ってくれたことも大きかったけれど、何かあればすぐに沖縄に戻れる場所というのも小心者のわたしにはぴったりだった。それでも、結果、大きな転機になった。
 
 しかし、時には、一冊の本が一人の人間の内部にコペルニクス的な大変化を引き起こすこともある。
 そんな風にしてわれわれは本を読む。そういう体験がわれわれの中に何十年も堆積している。自分の人格の少なからざる部分が、肉体的な体験や、他人が発する言葉による働きかけ、経済活動、まるで発生源のわからない本当の神秘体験などと並んで、読書をも素材として形成されたことを知っている。―――『海図と航海日誌』より

 『海図と航海日誌』で語られる、著者の読書遍歴を読んでいくうちに、少ないけども確実に自分を形成してきた本たちに思いを馳せる。自分という存在がいかに多くの要素から成り立っているかを知る。この国に、この時代に生まれたことへの責任があるとしたら(大袈裟だけれど)、知ることと思考することは絶対だと。思考も知識もなく、この国に生まれたことを選ばれたなどと思い込むのは危険だから。
 わたしたち誰もが、何者でもない存在としてこの世界に誕生する。すぐに、誰かの娘となり、息子となり、孫となっていくのだけれど。やがて、友人となり、恋人となり、親となる人もいる。その過程での経験、知識、感性がその人を形成して、その人たらしめていく。
 『海図と航海日誌』の新しい章を読み終える度に清々しい知的好奇心が波となってやってくる。キラキラと輝く水しぶきが、わたしにまとわりつく閉塞した空気を打破していく。そして、さらに広い海原へ、まだ見ぬ世界へ背中を押し出してくれるようだ。
 
 しかし、これはもっぱら自分の過去をふりかえってみて言うのだが、自分の生きかたを深いところから変えてしまう書物というのもたしかにあるのだ。それが(いささかロマンチックな表現かもしれないが)回心の契機。あそこであの本に出会わなかったら自分の人生はずいぶん違ったものになっていただろうということが、書物がらみで生きてきた人間には何度かある。ぼく自身について改めて考えてみると、それは音楽よりも芝居よりも映画よりも、おそらくは旅と比べてさえ、多い。友人や肉親や異性との付き合いに比べてみても、あるいは拮抗しているかもしれない。いわばそういう書物の海を航海してきた自分であり、その記録、数冊の航海日誌としての精神史がある。―――『海図と航海日誌』より
 
 韓国に住んだことが直接的にわたしの人生を変えたとは言えない。でも、海外へ住もうとまで思わせた『オリガ・モリソヴナの反語法』との出会いは、わたしの人生を大きく変えた。人の生きる力を、知恵を、生命の歓びを教えてくれたから。何度も読み返したオリガの強烈な生命力はわたしの血となり骨となっている。それがなければ、わたしは市場に座ることもなかった。市場で生きる人の中に命の煌めきを見ることもなかった。
 彼女の人生はわたしの人生にはならない。でも、彼女の人生を何度も読んで得たのは確かな経験だ。わたしの人生を大きく変えるほどの。
 
 ソウルの本屋で韓国語の翻訳本を見つけたときは、飛び上がるほど嬉しかった。喜ぶわたしにヌンヘがこの本をプレゼントしてくれたことも。「アヤハ、この本を韓国語で読めるまでガンバレ。私もこの本を日本語で読めるまでガンバル」
 その直後、彼女のご主人の帰国が決まり、私は韓国の滞在を少し延ばすことを決めた。彼女の家を出て新たな下宿先に向かう鞄の中には、日本語と韓国語の『オリガ・モリソヴナの反語法』が入っていた。

 
(宮里 綾羽)
 
海図と航海日誌
池澤夏樹著 1995年 スイッチパブリッシング
『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』
米原万里著 2001年 角川書店
『オリガモリゾヴナの反語法』
米原万里著 2002年 集英社
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 正月が終わったばかりだというのに、今度は旧正月だ。
 市場では、「ハーッサヨナー(あれまー)」と買い物袋を何個も下げたおばあさんたちが往来する。
 常連というか、小書店の机を家のリビング代わりにしている約90歳のおばあさん。毎日、持ちきれないほど買い物をして、ちょっと休憩させてーと小書店に買い物袋を置いていく。最近は忘れん坊に拍車が掛かっていて、同じ食べ物を何度も買ってしまう。
「こんなに食べられないでしょー」「また買い物?もういいんじゃない」と言っても、買い忘れたと言っては買いにいく。
 旧正月が近づいて、更に買い物の量が増えた彼女をてんぷら屋の前で見掛けて声を掛けようとすると、てんぷら屋のお姉さんが彼女に「ダメー」と言う。
「どうしたの?」と尋ねると、「今日もいっぱい買い物してきてるからさー、もう食べられないよ。今日は売らないって話してるわけ」
 言われた彼女はキョトンとしていて、まだてんぷらを買おうとしている。
 わたしも加勢して、彼女を説得する。こんなにだれが食べるの?もう十分買っているよ、一緒に帰ろう、と。
 これがスーパーだったら、彼女は買いたいだけ買うだろうし、店員も止めることはしない。てんぷら屋のお姉さんは売上げ優先ではなく、必要な人に必要なだけ売ってくれる。すごく優しくて嬉しくなった。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2017©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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