2016611日 天気:曇り時々雨

 

『沖縄への短い帰還』

 コザには魅力的な人がいっぱいいる。
 父の先輩のBさん。作詞家、プロデューサーとしてだけでなく、レコード会社の社長として長く沖縄の音楽シーンを支えてきた人だ。
 Bさんや父の先輩たちと話すなんておこがましい、という感じ。
 いや、知識もユーモアも全然ついていけないから話せない、というほうが正しい。
 わたしはいつも彼らを眺めているだけだ。
 Bさんのレコード店、父の先輩方が集まるお祝いの席。
 眺めているだけでも彼らの世界はおもしろい。
 でも、その魅力がどこから来ているのかよくわからなかった。
 Bさんの73歳のトゥシビー(生年祝い)を覗き見したとき。
「どんな年になるだろうな」とだれかが呟くと、Bさんはハリのある大きな声で言った。「来年は死にます!」
 
 十年間沖縄に住んだ著者が書いた『沖縄への短い帰還
 書評の中に照屋林助の『てるりん自伝』があった。
 照屋林助は沖縄のコメディアンだ。「コザ独立国」という国の終身大統領でもあったらしい。といっても、わたしは彼のことをほとんど知らないのだけど。
 テレビでたまに見る面白いおじいさん、というイメージ。
 
 照屋林助はコメディアン精神を師匠の小那覇ブーテンから教えられた。歯医者という立派な職業を持ちながら勝手にコメディアン活動をしていたこの人物は、弟子の林助を連れていきなり知り合いの家に上がり込む。「命のスージ(お祝い)にやってまいりました」と言われた相手が驚く。時は沖縄戦終結後間もない頃、沖縄人の四人に一人が死んだのだから、誰もが身内の死者を悼んでいる時だ。しかしブーテンは「生き残った者がお祝いをして元気を出さないと、亡くなった人たちの魂も浮かばれません」と言って、強引に祝いを敢行する。四人に三人が生き残ったのは喜ばしいと言い切る。それを脇で見てみて、林助は「生き残った者には、明るく生きていく義務があるのだ」と悟る。これが基本姿勢である。―――『沖縄への短い帰還』より
 
 Bさんはもちろん、父のコザの先輩方は小那覇ブーテンさんの流れを脈々と汲んでいるのでしょう、と母が言ったことがあった。
 わたしにはよくわからない。
 だけど、彼らのユーモアやアイロニーには、底知れぬ虚無感があると感じる。すごく楽しくておもしろいのに、すぐ隣に死が横たわっているような。
 年齢のせいではない。戦争を、戦後の沖縄を生きてきた人たち。
 親や兄弟や友人が戦争で死ぬというのはどういう気持ちなのだろう。絶望という言葉さえ軽く聞こえる。
 でも、そこに生きることをお祝いした人がいた。希望を見出した人々がいた。その人々がわたしたちに命を繋いでくれたことを心から誇りに思う。
 
 Bさんやその仲間たちの集まりはいつも、気心の知れた者たちだけで、歌あり、猥談ありと楽しい席だ。楽しい席なのだが、わたしにはひとりずつの強烈な個性の中に、生きる哀しみとその真逆の生を謳歌する喜びがあるように見える。
 激しい振り子のように、揺れを繰り返すたびに彼らのエネルギーは増してきたかのようだ。
 
 そう、もうひとつBさんの魅力をわかった気がした話。
 雑談の中で九州の話になった。
「沖縄からサツマイモが本土に行ったさーね、沖縄から最初に行ったのは何県?」
という問いに、「鹿児島」とわたしは答えた。
「鹿児島の人が琉球ものって馬鹿にして食うわけないでしょー。一番最初は長崎、次は大分、熊本、宮崎、それで一番最後に芋食ったのが鹿児島。それまで琉球芋だったのが、鹿児島に入るときにサツマイモになったんだ」
「知らなかった」と言うわたしに、
「ぼくはレコード協会の創立メンバーの一人で理事だったんだ。沖縄から一人。九州からも一人理事が選出されるんだけども、創立メンバーが亡くなって、鹿児島から新しい人が選ばれてきた。その人が、挨拶してきたんだ。沖縄ですか~そうですか~。近いですね、よろしくお願いします、と言ったんだ。その前に言うことがあるでしょうと言ったんだよ」
 何を言うんですか?という間の抜けた質問をするわたしに、Bさんはこう続けた。
「その前に言うことがあるでしょう、と言うと、相手がへ?と言うもんだから、琉球の歴史を教えたんだ。そしたら、ごめんなさいと言いよった」
 わたしを小さな衝撃が襲った。
 数百年も前のことを、現在起きたことのように話すBさんに。
 時間を超越している。時間の概念がわたしなんかとは全然違う。
 琉球人として沖縄人として時間を跨ぎ、未だに薩摩を忘れていない。衝撃は感動に変わった。忘れることは美徳ではないのだ。
 やったこと、やられたこと。泣かしたこと、泣いたこと。
 けっして、恨みを持って生きるということではない。
 ただ、忘れてはいけないんだよ、と。起きたことをなかったことにして明るい関係なんか築けるものか、と。
 だから、もっと勉強しなさい、もっと色んなものを見るんだ。聞くんだ。
 アイロニカルな言葉の裏には、Bさんのそんな想いがある気がする。

 
(宮里 綾羽)
 
沖縄への短い帰還
池澤夏樹著 2016年 ボーダーインク
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 一年ぶりに帰ってきた!
 小書店の向かいにあるベビー服店Kさんの三女がバーレーンから帰ってきたのだ。
 一年前はドバイから沖縄に帰ってきたが、旦那さんの転勤で今はバーレーンに住んでいる。バーレーンからドバイ、香港を経由してやっと沖縄。その長い旅路を1歳の娘を連れてはるばるやってきたのだ。
 三女が帰ってきたことで、Kさんの他の娘たちや孫たちが入れ替わり立ち替わり店にやってくる。
 最近では、お互いの客よりもK一家の面々のほうが店にいるくらい。
「オムツ替えたら?」「お昼ごはんどうする?」「病院いってくるー」
 Kさん一家のリビングと化した我々の店は今、とっても楽しい。
 あ! 昨日は腕のいいネイリストの三女に店でフットネイルを施してもらった。
 ラマダンが終わるころには、バーレーンへ戻ってしまう三女。
 今から三女がバーレーンに戻るのが寂しい。彼女を好きだからというのもあるけど、毎日騒々しいと言いながらも、楽しそうなKさんを見るのが嬉しいから。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2016©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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