2017923日 天気:曇りのち晴れ

 

『修道院』

 その日、彼は公衆電話からわたしに電話をかけてきた。
「一泊させてくれませんか?」
 聞き慣れない弱々しい男性の声。しかも、今どき公衆電話から電話をかけてきて、泊めて欲しいなんて。警戒したわたしは少しきつい調子で「どなたですか?」と聞き返した。
「あ、ごめんなさい。ロクです」
 ロクさんかぁ!
 数カ月前、帰省したときに一度だけ会ったことがある人。先輩の同級生だと紹介されたロクさんは20代になったばかりだというのに、妙に落ち着いていた。少し前までメキシコからアジアを修行して歩いた話が面白くて、よく覚えていた。
 先輩から聞いた話では、ロクさんはスケーターだったけど、ある日突然、出家したのだそうだ。理由は誰にもわからないらしい。
 
 恋人と一緒にロクさんを駅まで迎えに行くと、彼は駅の入口で所在なげにしている。多くの人が彼の前を行き来していて、人混みの隙間に残像みたいにロックさんがちらつく。体が細すぎるせいか、頭が大きく見えてマッチ棒が立っているみたい。ボロ布みたいな服を着て、丸刈りだった髪も不揃いに伸びている。沖縄で話し込んだ夜と違って目が暗い。たくさんの苦痛が彼に纏わり付いているみたいだった。私たちを見つけると、彼は小さくお辞儀をして呟いた。「東京はやっぱり人が多いですね」
 
 あの人には贖罪の必要があった。
 自分の魂に追い立てられていた。
 そういうことも後になってわかったんだが。
 そうやって毎日あそこに通っているうちに、礼拝堂に惹きつけられた。小さいし、それに祈りの場だということがあの人には大事だった。しかも墓地の礼拝堂だ。死者の平安を祈るところ。―――修道院』より
 
 クレタ島のある村にミノスという男がやって来た。村人たちは最初、彼を旅人だと思ったが、ミノスはやがて村に住み着き修道院に通いはじめる。
 修道院で働かないかと問われ、自分にはその資格がないと答えたミノスは、間もなく、修道院の下に荒れ果てたもう一つの修道院を見つける。クレタがギリシャのものになる直前の戦乱時、トルコ兵たちが壊した廃墟。その修道院の礼拝堂を修繕することに彼は取り憑かれたように夢中になる。
修道院』という残酷で美しい物語はミノスを探しに村へやって来た女によって、更なる悲劇を生み出す。
 
 ロクさんが泊まった夜、恋人とわたしは彼の話を一晩中聞いた。
 何年も山に籠る修行を控えているのだ、とロクさんは言った。数年前にもその修行を経験したがとても辛く、今度は耐えられるかわからない。修行が始まれば親しい人たちにも会えなくなるから、その前に彼女に会いに東京へ来た。今日は別れを告げるために会う予定だったけれど、決心がつかずに会えなかったんです。
「でも、日本のお坊さんは結婚もできますよね」
 間の抜けた質問をしたと後悔したけれど、彼は丁寧に答えてくれる。
「私は駄目な人間なんです。だから、結婚とか普通の人がすることをしてはいけない。世の中に出てはいけない人間だから出家しようと決めたんです。まともな人間になりたいから修行をしているんです。でも、修行に行くのがとても怖い。そういう弱い自分を抱えて生きることが辛いのです」
 彼の謙虚さは中学生のときからずっと変わらない、と先輩が言っていた。どうして、ロクさんはそんなに自分を責めるのだろう。
 その夜、彼はとても揺れていた。修行へ行かずに逃げたいと話したり、いや、行かなければいけない、と決心したり。
 ロクさんがミノスのように贖罪の必要があるほどの罪を犯したとは思えない。でも、辛い修行に出て行かざる得ない何かがあって、それと葛藤していることはわかった。その姿は見ている私たちまで苦しくなるほどだった。
 人は誰しも多かれ少なかれ罪を犯しながら生きている。その罪の重さは誰が決めるのだろう。わたしの場合、結局は自分の中でしか決定できない。相手に赦されても、自分は自分を赦すことができるだろうか。自分の中の神様みたいな存在は他人よりも厳しくわたしをジャッジする。赦されないならば、わたしもきっと苦行のような厳しい道を選ぶ。赦されることは赦すよりも曖昧で苦しくて、難しい。
 
 翌朝、ロクさんは朝早く出て行った。「ありがとうございます」と丁寧にお礼を言い、まだ薄暗い道を行く彼の背中はとても小さかった。彼を赦すことができないのも、そのか細い彼なのだと思うと、言いようのない切なさが広がった。
 彼女に別れを告げに行く彼の背中から切なさはやがて薄まり、赤紫色の空に馴染んで消えた。ロクさんは苦しい修行へ出発すると決めた。

(宮里 綾羽)
 
修道院
池澤夏樹著 2008年 角川書店
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 ワイングラスの底に薄ピンクの宝石みたいなジャムがキラキラと広がっている。その上には琥珀色のコーヒー。一番上には涼しげな炭酸水の泡がはじける。美しい層を壊したくないと思いつつ、こうじっとり暑いと目の前にある冷たい飲み物を早く体に入れてしまいたくなる。
 ストローで一気に吸い込むと桃の甘さとコーヒーの苦みと炭酸のシュワシュワが混じり、何とも言えない爽快さとなって喉元を過ぎていく。
 この洒落た飲み物は、栄町市場にある「COFFEE potohoto」の期間限定メニュー「エチオピアピーチソーダ」だ。うーん、美味しい。
 新しいメニューをどんどん考案していく「COFFEE potohoto」。季節に合わせて市場で出回るフルーツをジャムやシロップにしてコーヒーと合わせ、世にも美しく美味しいドリンクを作っていく。コーヒーをよく知らないわたしはフルーツとコーヒーなんて合うのかな?と思ったけれど、コーヒー豆も果実なのだし、フルーツと合うわけですね。ふむふむ。
 もう何度も紹介している「COFFEE potohoto」だけど、いつでも学ぶことが多いのです。新しさとクオリティを追求し続ける姿勢、今よりももっといい物を。勉強熱心でチャレンジ精神に溢れる市場が誇るすごいお店。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2017©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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