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20159月12日 天気:秋晴れ

 

『マシアス・ギリの失脚』

 話し声やラジオの音、子どもたちがバタバタと走っていく音。眩しい日差しが差し込む市場にはそぐわない妖艶なメロディーがカラオケ教室から流れ出ていく。
 雑多な音が寄せ集まり、この市場はつくられている。その市場に溢れる音を聞くのが好きだ。店番をするカウンターに肘を付いて目をつぶる。いつの間にかうたた寝をしていた。
 ペチャクチャと粘りのある、高音で気持ちのよい話し声が頭に響く。島民がマーケット前にしつらえられたベンチに座り、噂ばなしや政治の話に花を咲かせている。
 このごろ、同じ本を何度も繰り返し読んでいるためか夢の中まで本の場面が染み込んできたようだ。『マシアス・ギリの失脚
 ミクロネシアの小さな島からなるナビダート共和国。美しい海に囲まれ、人々は長閑に暮らす一方、大国に翻弄され続けてきた。
 日本と太いパイプを持つマシアス・ギリは孤児として育ち、ナビダート共和国の大統領にまで上りつめた。
 しかし、日本からの慰霊団47名を乗せたバスが行方不明になってから、彼の輝かしい人生の歯車が少しずつずれていく。
 美しい恋人、霊力を持つ若い巫女、おしゃべりな亡霊に突然島に現れたゲイのカップル。シリアスな内容だというのに、登場人物に陽気な人が多いのは南の島だからだろうか。
 
 まず、この島によく似た島を知っていると思った。
 その島も美しい海に囲まれている。珊瑚礁のまわりには色とりどりの熱帯魚が泳ぎ、砂浜は白く、観光客が世界中からやってくる。人々は昔ほど長閑に暮らしてはいないが、親族や地域の繋がりを大切にし、日常の中で伝統を守る小さいけれども豊かな島。
 そして、ナビダート共和国やほかの小国と同じように大国に翻弄され続けている。
 翻弄されることは小国の運命だという人たちがいる。
 島民は黙って大きな流れに身を任せればいい、と笑う人たちがいる。
 大国は、空を低く飛ぶ戦闘機、事件事故を起こしても治外法権的特権でやりたい放題な者たちに対して島民は反発していると思うのだろう。
 しかし、本当にそれだけだろうか?
 海は太古から続く生命の源であり、先祖が守ってきたもの。
 何千年、何万年、何十億年も昔から脈々と生命を繋いできた海に舟を出し、泳ぎ、魚を捕って恵みを享受して生きてきた。
 それを、たかだか百年にも満たない人間のエゴで簡単に潰してしまっていいわけがない、という畏れがあるのではないか。
 あまりにも横暴で利己的な思考から子供や孫や子孫を守りたいと思うのは当然ではないだろうか。
 この島の人々には人間が自然を制するという思考がないのだから。
 この島の神はあらゆるものに宿るのだ。
 
 日本で働いたこともあるマシアス・ギリは日本との太いパイプを保ちながら出世してきた。ある日、大統領という地位にすっかり落ち着いた彼は日本から石油備蓄基地を造ることを提案される。基地の建造費や海面使用料は、基地が存続するかぎり永久に日本から支払われるという。
 安全保障のために古いタンカーを十隻繋留するだけの基地。
 マシアス・ギリは恋人が営む高級娼館で出会った若い巫女を連れ、石油備蓄基地を造る予定の海へ行き、彼女の力で未来かもしれない光景を見る。
 
 見れば船のあちらこちらには大きな穴が開き、ひきむしられた鉄板の周辺には硫黄の匂いが立ち込めている。環礁を越えた遠い外洋から砲弾が飛来する。その後を追うようにして人工衛星搭載のレーダーに誘導されたミサイルが到着する。その爆発の轟音はバルタサール市でも見える。人々はおののく。こういう事態を招くことは思えば当然のことだった。ここにこれだけの財があることは、それを奪うなり、焼くなり、海に沈めるなりする衝動を呼び寄せる。あれほど嫌われ憎まれた国家組織のプライドと経済に大きな打撃をあたえるとなれば、ここを攻撃したいと考えるものはこの地域に少なくはないだろう。他人の財産は自分の負債という考えは、人類が初めて畑を耕して以来の古い仲間である。
 原油がゆっくりと礁湖の底に沈んでゆく。百年を経て知恵ある脳の形に育った珊瑚を一つ一つゆっくりと窒息させ、そこに住む魚の群れを着実に抹殺しながら、原油はべったりと海底を慈悲に満ちた安楽死の毛布のように覆う。死んだ珊瑚は死んだ人骨にあまりによく似ているという考えが彼の頭に浮かんだ。
———マシアス・ギリの失脚』より
 
 マシアス・ギリは船が崩れ、色とりどりの魚の姿が消え、白い珊瑚礁の骨と十隻の大型タンカーの残骸を見た。この世界にはもう誰もいないというのに。
 彼は巫女にそっと握られた手をほどき、見てしまったものから目を逸らすように青い空を見上げる。
 
 少し先の椰子の木々の間に子供たちの顔が見え隠れしている。それを見て現実に戻った彼は、しかしその子供たちの顔も自分と同じように恐怖と戦慄の色に染められていることに気付いて、もう一度、あらためて愕然とした。あの子供たちは同じものを見たのか。
———マシアス・ギリの失脚』より
 
 彼が巫女の力を通して見た世界の終わりを島の子供たちは自らの力で見てしまう。彼らが見た風景には人どころか、魚さえいない。
 マシアス・ギリの愚かな選択に気付くナビダード共和国の人々。彼の信頼はゆっくりと失われていく。
 幸運なことに、私が知っている島、私が住む島の主導者は信頼できる人だというのが多くの島民たちの声だ。島民たちの想いを代弁する主導者がいることに喜びを感じると同時に、矢面に彼を一人で立たせているような気がして心苦しくなるのだ。
 しかし、彼の後ろには同じ想いの島民が数十万といる。
 その島の主導者はきっと、「現在」を過去から未来へ繋ごうとしている。
 彼が必死で守ろうとしているのは、今生きる島民だけではない。
 過去を振り返らず、未来に想いを馳せないことほど愚かなことはないだろうから。


 
(宮里 綾羽)

 
マシアス・ギリの失脚
池澤夏樹1996年 新潮社
 
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 栄町の東口から入って、メインストリートを真っ直ぐ歩いて突き当たった場所。
 そこで野菜を売っていたおばあさん。向かいの店主Kさん曰く、40年以上座っているんじゃない?私が来る前からだから。
 そのおばあさんが5月に入ってから姿が見えなくなっているという。市場の人々の証言。腰を悪くしたってよー、いやいや家の都合みたいだよー。
 ついさきほど、おばあさんがKさんを訪ねてきた。旧盆の買い物で久しぶりに市場へ来たという。
「もー、こんな長い付き合いなのに最後の挨拶もないからびっくりしたよー。元気そうでよかったよー」
「ウトゥ(夫)が倒れてから歩けなくなってよー。腰も痛かったしさー、もう誰にも言わないでやめたよ」
「家での仕事はもう嫌だ。やってもやってもうるさい!」
「そうそう、やってあげてもグチグチ言うでしょう?引き合わんよー」
「でも、長い間仕事お疲れさまって孫たちがパーティーしてくれたさー」
ひとしきり話したおばあさんは、じゃあ!と片手を上げて元気に店を出ていく。
 市場での引き際はひっそりと。誰にも言わない、誰にも迷惑を掛けない。
 自立した市場の女性ならではだと思った。
 店も人もこんな風に忘れられていくのがいいな。

 
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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