201588日 天気:くもり

 

『スティル・ライフ』

 この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。
 世界ときみは、二本の木が並んで立つように、どちらも寄りかかることなく、それぞれまっすぐに立っている。
 きみは自分のそばに世界という立派な木があることを知っている。それを喜んでいる。世界の方はあまりきみのことを考えていないかもしれない。
 
 でも、外に立つ世界とは別に、きみの中にも、一つの世界がある。きみは自分の内部の広大な薄明の世界を想像してみることができる。きみの意識は二つの世界の境界の上にいる。
 大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。
 たとえば、星を見るとかして。
———スティル・ライフ』より
 
 夏休みに入ってから、市場中で子供たちの威勢のいい声が聞こえてくる。
 小書店の脇のスージグワァー(小路)を3、4名が連なって走っていく。
「危ない!走らんよー」と市場の大人たちに怒られても、数十分後には再びバタバタと走り抜けていく。
 小書店の1日は今日も簡単な掃除から始まる。床を掃き、埃を払う。その後、仕入れた本の手入れをして、薄紙を掛けて値をつける。弁当を食べ、値札をつけた本を本棚に並べる。客はたくさん来る日もあるし、1人しか来ない日もある。
 作業の途中に時間を見つけ、好きな本を広げて店番ができるこの仕事を私はとても気に入っている。
 今日読んでいるのは『スティル・ライフ
 
 ある日、アルバイト先の染色工場で大失敗をしたぼくは、かばってくれた同僚の佐々井を飲みに誘った。その2日後に仕事をやめてしまった佐々井から再び連絡があり、ぼくと佐々井は頻繁に会うようになる。彼は不思議な男で、アルバイトを転々としながらもぼくが探しているもの、長い生涯を投入すべき対象を、もう見つけてしまった印象を与えた。
 ぼくは佐々井の仕事を手伝うことになり、3カ月間、ぼくの住む大きな家で共同生活が始まった。
 彼はぼくにとって新しい世界だった。濃厚で希望で喜び。
 彼とぼくの呼応と調和は完全で、それぞれの距離は完璧に保たれていた。
 やがて、佐々井は仕事を終えて去り、彼の気配は薄れて遠くなっていた。
 しかし、残されたぼくの世界は以前よりも感度が高くなっているに違いない。
 
 少し前に、ぼくと同じような体験をした。
 友人の紹介で出会った女性。彼女はニューヨークに長く住み、たまに日本に帰ってくるのだという。「最近は日本が面白くてさー、今年はもう3回来てる」
 有能で話が面白くチャーミングな彼女を私はすぐに好きになった。
 彼女が沖縄に滞在した3日間、食事をしてドライブをして、遠くに住む友達にも一緒に会いにいった。
 レストランや車の中であらゆる話をした。家族のこと、仕事のこと、アメリカのこと、沖縄のこと、それ以外のたくさんのこと。
 よく話し、よく笑った。体は疲れていたけど、満たされたいい時間だった。
 
 彼女はニューヨークに戻り、私も日常を生きている。
 私の日常はそれまでと変わらず、特別なことが起こらない長閑なものに見えるだろう。そのことに満足しているし、できるならばこの日常をずっと続けていきたい。
 一方で、日常を生きていると憤りや失望が澱のように少しずつ蓄積されていく。
 空気が淀んできたのなら、風穴を開けるのは私にしかできないことだし、他に期待するのは間違っている。
 でも、時々知らなかった世界が向こうからやって来て、私の内側に爽やかな風を運んでくれる。
 私の内側は新しい世界と調和して、きっと前よりも澄んだものになる。
 それ以上の幸運はないと思った。

 
(宮里 綾羽)

 
スティル・ライフ
池澤夏樹1988年 中央公論社
 
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

栄町市場には1年に1度しか開かない魚屋があるという。
そんなことを知らなかった去年の師走。いつものように小書店を開けて、まだ人通りの少ない市場内をアッチャーアッチャー(散歩)していた。
すると、B商店の向かいに見慣れない店が開店している。いつもはシャッターが閉まっているのだが、今日は立派なショーケースにマグロの赤みが並んでいる。
あれ??という顔で私が立っていたのだろう、B商店の主人が出てきて言った。「ここ初めて見る?」
聞けば、大きなマグロが釣れたときしか開かない魚屋で、売っているのはマグロのみ。「1年に1回しか開かないんだよ、早く予約したほうがいいよ」とB商店の主人が親切に教えてくれる。
新鮮で格安なことから、市場の人が親戚や知り合いに連絡するものだから市外からも予約が入り、午前中の早い時間に売り切れてしまうらしい。ほぼ幻の魚屋だ。
そりゃー大変だ、とすぐに1,000円分の刺身を買った。
すでに予約でいっぱいなようだったが、ギリギリセーフ。
幻のマグロが買えたと満足して小書店に戻ると、向いの店主が「私の分も!」と言うので、また急いで買いに走る。刺身にうるさい向いの店主も「これは新鮮だね。美味しいはずよー」と嬉しそうだ。実際、肉厚で新鮮で美味しいマグロだった。
向いの店主の分も買えて安心した私は、魚屋のおじさんに聞いてみた。「1年に1回しか開かないって本当ですか?」
「いや、今年はもう4回開けている」

 
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
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2015Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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