20171223日 天気:曇り

 

『この世界のぜんぶ』その二

 いつもより道行く人が多い。
 もともと、静まり返った昼間の市場と違い、夜の市場は大賑わいなのだが、年末ということもあってさらに活気づいている。
 あちこちから聞こえくる笑い声と音楽が混ざって喧騒になる。
 フラフラとよろめきながら歩く男性やケタケタ笑う女性たち。肩を組んで道いっぱいに広がって歩く若者たちが市場中に溢れる。華やかな空気が楽しくて、用もないのに市場中を散歩した。
 酔っている人々に紛れながら散歩するのは、ハッピーな映画を見ているみたいで楽しい。浮かれた空気にうまく溶け込めなくても、少し引いて彼らを観察しても、それを悟る人はいないし、諭す人もいない。
 市場を浮遊するように散歩していると、喧騒から取り残されたようにひっそりと佇むスージグヮー(小路)があった。昼間は大きな八百屋が道の両脇に野菜を並べ、多くの客が訪れる場所。
 夜は八百屋が閉まっている分、この通りは静かになる。そのシャッターの閉まった暗い路上にふたつの光が灯っている。舞台のスポットライトみたいに。
 灯りの下には簡易的なテーブルと椅子が用意されていて、数人の男女が固まって座る。時おり、ドッと沸くような笑い声が起こったかと思うと、また小さな声で話しだす。もう少し観察してみようかと立ち止まると、今度はどこからか旋律が聞こえてくる。軽妙なのに感傷的な、よく知っている曲。
 このスージグヮー(小路)に灯ったもうひとつの光からだ。曲に惹かれて店の前まで行くと、入り口からピンク色の光が漏れてくる。「Moon River」のメロディと混じり合って。
 電子ピアノとパーカッションだけの演奏だけど、わたしにはロマンティックで麗しく聞こえた。店の入り口でパーカッションを叩くおじさんがわたしに向かってウィンクして言う。「楽しい夜を」
 遠くの雑踏と目の前の伸びやかな音楽。雑然とした路上で聴く「Moon River」に物凄く心を掴まれてしまった。大雑把な演奏なのに、この上なく贅沢で美しいものに思えた。
 
この世界のぜんぶを
きみにあげようと思ったけれど
気がついてみれば
この世界はぼくのものではなかった
 
ぼくが持っているのは
この世界のほんの一部
一個のパンと一本のワイン
それに一枚の毛布
 
―――『この世界のぜんぶ』より
 
 四季とクリスマスの五つの章で作られた詩集『この世界のぜんぶ』。タイトルの通り、世界のあらゆるものがこの詩集には登場する。桜、雨、象、犬、家、言葉、月、砂浜、空、酸素、蚊、蜘蛛、ロンドン、恐竜の化石、酒、絵描き、、、
 最後のクリスマスの章に収められている「この世界のぜんぶ」は四季の章から独立していて、それまでを包括するように、そして、まだ見ぬ世界の発見へとわたしたちを誘う。
 世界はぼくのものでもないし、きみにあげられるものでもないと詩人は言う。
 でも、世界は今、この瞬間、ここから広がっている。見える世界は日々増えていく。生きる世界はぼくときみが一緒にいればどんどん色鮮やかになる。
 持っている世界がほんの一部だから、もっと世界を知りたくなる。
 詩人のような世界を見つめる温かさと好奇心があれば、わたしたちは世界をもっと見ることができる。それは、生きる歓び。
 
「Moon River」の夜のことをある人に話したら、「シンガポールとかジャカルタみたい」だと言った。
 そうだ、旅先の風景みたいだった。だから、あんなに惹かれたのか。
 自由で開放された新しいものが、あの夜の市場にはあった。乱雑の中に優雅さがあって、騒音の中に奥ゆかしい音楽が奏でられる。そのアンバランスさが強烈で魅力的に思えた。まだ、発展途中の力強い街の夜の風景。
 わたしは、いつも見ている市場の中に新しい世界を発見した。広い世界にすぐに旅立てなくても、目の前の世界にだって出会っていない風景が隠れている。わたしが世界の風景になることもあるかもしれないし。
 そう、わたしだってこの世界の一部なのだ。わたしを包容しているこの世界のぜんぶ。でも、わたしも誰かを包容しているかもしれない。この世界の一部として。
 そんなことを宮里小書店の店番をしながらゆっくりと考える。とても、幸福な年の瀬。

 
(宮里 綾羽)
 
この世界のぜんぶ
池澤夏樹・早川良雄 共著 2001年 中央公論新社
配信申し込みはこちら
毎月第2/第4土曜日配信予定

【本日の栄町市場】

 市場界隈には何軒かあるけれども、市場内では唯一の薬屋さん。
 商売柄なのか、この市場の特色なのか、お年寄りにとっても親しまれている。いや、親しまれている一番の理由は上品なお母さんと綺麗な娘さんがいるからかもしれない。ふたりともすごく優しいし。
 薬屋さんで見掛ける風景はこんな感じ。
 90歳になるおばあさんが栄養ドリンクをゴクゴクと飲む。おじいさんが散歩の途中で休憩する。また別のばあさんが椅子に腰掛けておしゃべりをする。
 そして、みなさん、ご高齢だからか、薬屋さんの居心地がよいからか、とにかくよく忘れ物をするようだ。
 薬屋さんのお母さんか娘さんのどちらかが薬局衣を着たまま、両手いっぱいに買い物袋を下げ、「〇〇さん、通らなかったー?」と聞いて回る姿をよく見る。
 そして、忘れ物をした本人を見つけると、親切に表の通りまで、時には家まで買い物袋を持って送っていく。みんな、子供や孫に手を引かれるように幸せそうに帰っていく。
 年末の栄町市場はとっても大賑わい。きっと忘れ物も増えるんだろうなぁ。でも、薬屋さんをはじめ、市場のみんなが見つけてくれると思います。
 だから、年末年始のお買い物は安心して栄町市場へどうぞ!
 市場へ来られる方も、来られない方も、よいお正月をお迎えください。
宮里綾羽
沖縄県那覇市生まれ。
多摩美術大学卒業。
2014年4月から宮里小書店の副店長となり、栄町市場に座る。
市場でたくましく生きる人たちにもまれながら、日々市場の住人として成長中。
ちなみに、宮里小書店の店員は店長と副店長。
『本日の栄町市場と、旅する小書店』(ボーダーインク)。
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2017©Ayaha Miyazato, Takashi Ito






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